第16話 女性統括マネージャーとの信頼関係で流れが変わる
2015年12月22日
2年目のチェリー工場。
今度は本格的に業務改革をして欲しいと依頼を受けたものの、行ってみたら、アメリカンチェリーは100年に一度の大凶作で工場の活気はイマイチ。
依頼主の西海岸カーゴ社(仮名)の社長もロスに滞在したままでチェリー工場には顔を出さなかったし、今回の契約にあたって要求していた3つの条件(権限、レクチャー、トランシーバー)も、何ひとつとして用意されていなかった。
1年目に続き、2年目も「こんなはずじゃ…」と思うような想定外からのスタート。
でも、“想定外”なんて海外ではよくあること。
西海岸カーゴ社が何も準備していなかったからと言って、何もしないわけにはいかない。
条件が揃っていないのだから、私が何もしなくても契約上は問題ないのだろうが、私自身が自分の時間やこの機会を無駄にしたくなかった。
せっかくの1カ月半、私なりに私ができることをしよう、そう考え直した。
チェリー工場は、全体的に業務の効率化や品質改善への問題意識が低く、具体的な取り組みもされていなかった。特に梱包や出荷業務に関しては、西海岸カーゴ社に委託していたこともあって、ほぼ無関心だった。
それでもマネージャークラス唯一の女性だった生産ラインの統括マネージャーは、業務や品質改善の重要性に気づいていた。ただ、彼女はあまりに多くの仕事を抱えていて、業務改善にまで手がまわっていなかった。
私は彼女に直接掛け合うことにした。
ロゴ入りTシャツで、“チーム”の仲間入り
統括マネージャーが理解のある人だということは、前年の経験からわかっていた。
2013年、私が業務改善をしようとパレッタイズのセクションで男性ワーカーに混じってパレット積みの作業を始めてすぐの頃、彼女のオフィスに呼び出されたことがあった。
もしかして「余計なことをするな」と怒られるのではないかと内心ドキドキで彼女を訪ねると、怒るどころか彼女は
「Miwaは、私たちのチームだから」
と、チェリー工場の会社のロゴの入ったTシャツやパーカー、帽子など一式をプレゼントしてくれた。
ロゴ入りのTシャツや帽子は、日本の制服とは違って着用が義務づけられているものではなかったが、チームのユニフォームのような感じで、工場の主要メンバーはいつも着ていた。
私だけでなく、西海岸カーゴ社の社長やスタッフたちも、私が怒られに行くのだろうと思っていたから、ロゴ入りのユニフォーム一式を持って帰ってきた時にはかなり驚いていた。
数年間一緒に仕事をしてきた西海岸カーゴ社の社長や主要スタッフでさえ、これまでにもらえたのは帽子程度で、セット一式をもらえたのは私が初めてだった。しかも一緒に仕事を始めてたった1週間で。
勝手に業務改善など始めてしまっていいものかと少し不安だった私にとって、このプレゼントは感激ものだった。
ただの業務委託先のスタッフではなく、“チーム”の一員だと認めてもらえたのは本当に嬉しかった。
女性同士ということもあって、私と統括マネージャーはすぐ意気投合した。
今回、私が西海岸カーゴ社から業務改善の依頼を受けてきたこと、3つの条件を出したのに何もそろってないこと、今年やろうと思っていたことなどを2013年の体験や報告も含めて、一気に話をした。
幸い、大凶作だったので、シーズンのスタート時期はラインの稼働がまだゆっくりで統括マネージャーも時間をとれたし、西海岸カーゴ社の社長も工場にいなかったので直接話をすることができた。ここに社長がいたら、社長を飛び越えて工場側と直接交渉をすることはなかなかできない。 逆境だと思っていたことが、逆に好都合になった。
ついに“権限”を手に入れる
統括マネージャーと腹を割って業務改善について話ができたのは大きな一歩だった。
彼女は私にアドバイザーとしての“権限”を快く承諾してくれた。
さすがにレクチャーはもう時期的に難しかったが、トランシーバーもすぐに手配してくれた。
ミーティングの後、早速統括マネージャーと私は一緒に工場の全てのセクションをまわった。
彼女は、各セクションでワーカーたちに
「これからMiwaは業務改善のために、私の代理として現場をまわります。
Miwaの指示には従うように。
Miwaが必要なものがあればすぐに用意するように」
と宣言してくれた。
“通訳”だと思っていたおネェちゃんが、いきなり“統括マネージャー代理”になったのだから、特にマチスモ(男性優位主義)系の男性ワーカーの中には戸惑いの表情を隠せないものもいたが、そこは前年築き上げた信頼関係がある。ほとんどのワーカーが笑顔で応えてくれた。
おかげで、私は堂々と工場内を動き回り、指示を出すことができるようになった。
“不良”を“問題”と認識してもらう
“権限”を手に入れた私は、まず、統括マネージャーが収集しきれていない現場の情報を集めて彼女に届けることにした。
状況を把握してもらうために、パレッタイズセクションや出荷準備の時にクーラー(冷蔵倉庫)で見つけた不良事例を写真に撮ってレポートにし、毎日統括マネージャーに見せることにした。
数値データがどうのこうのの前に、そもそもどんな不良が出ているのかを統括マネージャーをはじめ、他のマネージャーたちも把握していなかった。
今までは、黙々と西海岸カーゴ社のスタッフたちがそれらの不良を修正してくれていたからあえて報告されることもなかった。もしチェック漏れがあって客先に不備のあるものが届いてしまったとしても、「じゃぁ、代替品送りますね」で済んでしまったのだ。
モーレツな忙しさの中では、目の前の仕事をこなすのに精一杯で、いちいち過ぎたことを振り返ってどうしてそんな不備が生じたのか原因究明をしたり、今後の改善策など考えている余裕はない。
まずは“不良”を“問題”と認識してもらうことからだ。不良を出しても、現場にフィードバックされないのでは、現場はいつまでも“問題”を認識しない。
“権限”をもらったからといって、アシスタントがついたわけではない。
あくまで私ひとりで動かなければならないので、とにかく見つけられるだけの不良やミスの写真を撮ってレポートにした。
統括マネージャーは、私が毎日提出するレポートを、翌日の朝礼で生産ラインやパレッタイズなど、それぞれ関連する部署のチーフやワーカーたちに見せ、指摘した。
これまで「別にこれくらいいいだろう」と、たいして気にも留めていなかった、封印テープのはがれ、インクジェットの印字のかすれなど、“ちょっとしたこと”が、次々と“問題”として取り上げられるようになった。
不良やミスの数は、すぐに減ったたわけではないが、ワーカーの中に、どういうものが“不良”扱いになるのか、そして不良をそのまま出荷してはいけないのだ、という意識は芽生え始めた。
インクジェット印刷の不良(かすれ、位置のズレ)。不良事例の写真を撮って統括マネージャーに報告
前年まで私が注意していた程度では多少ナメてかかっていたチーフたちも、統括マネージャーから証拠を突き出されて毎日毎日指摘されるとなると、今までのように無視しているわけにもいかない。
生産ラインやクーラーで不良を見つけて写真を撮ろうとすると、「すぐに直すから写真は撮らないでくれ」「今後気をつけるから報告はしないでくれ」と言ってくるチーフもいた。
一方で、自分たちで、不良を見つけて私に報告してくれるワーカーたちもいた。
これまでは、不良を見つけても報告義務があったわけでもなく、どう対処すればいいかもわからないので、余計なことにはクビを突っ込まない方がいいだろうと、ワーカーたちも見て見ぬふりをして、そのまま放置していたケースもあった。
なかなか「不良ゼロ」とはならなかったが、それでも封印テープなしや、テープの剥がれ、積み間違えなど、1日にどうしても1件は出そうな不良やミスが、全く見つからなかった日は、私も嬉しかったし、ワーカーたちに「昨日は、テープなしの不良はゼロだったよ!やったね!」とフィードバックをすれば、ワーカーたちもハイタッチをして喜んだ。
自分たちの仕事っぷりを、きちんと見てもらえていると実感できるのは、仕事の質やモチベーションをキープする上で、絶対に必要なことだ。
ところが。
順調に不良やミスの件数が減ってきていたところで、なぜかある時期から急に、カートン箱の封印テープが剥がれるという不良が多く見つかるようになった。
第17話 自分たちで問題解決をすることが自信につながる
2016年01月19日
2年目のチェリーシーズン。
マネージャークラス唯一の女性である生産ラインの統括マネージャーの助けを借りて、業務改善の“権限”をもらえるようになった私は、品質や業務効率の改善に対して意識の薄いマネージャーやワーカーたちに、まず“不良”を“問題”と認識してもらうところから始めようと、不良やミスの現場写真を撮ってレポートにし、統括マネージャーに毎日報告した。統括マネージャーは、その内容を翌日の朝礼で各現場のチーフやワーカーたちに報告し、現場にフィードバックした。
それまで、「これくらいならいいだろう」と見逃していたミスや不良が、問題点、要改善点として取り上げられるようになり、ワーカーたちも品質に対して意識を向けるようになった。ミスや不良の数は確実に減ってきていた。
原因不明の“テープ剥がれ”多発
急に、封印テープの剥がれが、大量に出るようになった
ところが、なぜかある時期から急に封印テープが剥がれているという不良が多く見つかるようになった。
クーラー(冷蔵倉庫)の中で、出荷前のパレットの山をチェックしていると、封印テープが剥がれかけているカートン箱があちこちで目についた。
品質の改善が進んで、テープなしや、テープの剥がれといった封印テープ関連の不良がほとんどなくなってきていたのに、ここにきてクーラーの中でピラピラとテープが剥がれているのを見たときは、正直ショックだった。一難去ってまた一難だ。
「なんでこんなことに…?」
前年なら、「またワーカーの気が弛んできたか…」などとワーカーたちのせいにしていたかもしれない。けれど、これだけ封印テープに関する不良の意識が高まってきたところで、ワーカーたちがこんな雑な仕事をするというのは考えにくかった。
気をつけてよく見ると、“テープ剥がれ”が出ているのは、大型サイズのカートン箱ばかりだった。
大型サイズには、カートン箱の側面から上面、反対側の側面へと封印テープをかける。以前は、側面部分のテープの長さが十分でないためにテープが剥がれ、フタが半開きになってしまうということもあった。
日本向けの商品の場合、封印テープが貼ってあっても、剥がれかけていると開封されたものと見なされ、日本の通関ではじかれて焼却処分となってしまう。
けれど、今はテープ係も十分な長さをとってテープを貼っているし、今回剥がれているテープも長さは十分あった。
仮にテープ係が何かしらミスをしたとしても、次のパレッタイズのセクションで、これだけテープが剥がれかけたカートン箱をそのままパレットに積んでしまうというのもおかしい。
私はすぐ、パレッタイズからテープ貼りのセクションへと、生産ラインをたどった。
パレッタイズでは何の異常も見つからなかった。パレットに積まれているカートン箱の中にはテープが剥がれているものは見つからなかったし、パレッタイズに流れてくるカートン箱の封印テープもどれもきちんと貼られていた。もちろん、テープ係も丁寧に封印テープを貼っていた。
チェリーの収穫量が少ないこともあり、今年はそれほど慌ただしい様子も、雑に仕事をしている気配もなかった。
しばらく、テープ貼りの様子やパレッタイズの現場を見ていたけれど、生産ラインではテープが剥がれているカートン箱を見ることもなく、結局原因はわからないまま。
ワーカーたちにも、クーラーで大量に“テープ剥がれ”が出たことを伝えて、何か思い当たることがないか聞いてみたが、原因になりそうなことは特になかった。
とりあえず、私はクーラーの中で西海岸カーゴ社(仮名)のスタッフと、剥がれたテープの修正作業をした。以前は当たり前のようにやっていた作業だが、これだけたくさんのテープの修正をするのは久しぶりだった。
西海岸カーゴ社のスタッフの中には、「ほら、どうせメキシコ人の仕事っぷりなんて、こんなもんでしょ」と言わんばかりの顔つきをする人もいたが、私は「必ず、他に何か原因がある」と確信していた。
もちろん、統括マネージャーにも報告はしたが、原因がわからないので対処のしようがない。
次の日も、その次の日も、“テープ剥がれ”は、発生し続けた。
ひとつひとつ可能性を考える
とにかく、生産ラインでは何も問題もないのだから、クーラーに保管されている間にピラピラと封印テープが剥がれ出す、ということになる。
クーラーの温度や冷風機の風量なども確認してみたが、これまでとそれほど異なる点はなかった。
封印テープの材質が変わったのかとも思ったが、封印テープも従来と同じものを購入していたし、第一、封印テープが原因なら、大型のカートン箱だけに“テープ剥がれ”が出るのはおかしい。工場が購入している封印テープは1種類のみで、他のサイズのカートン箱にも同じ封印テープを使っているのだから。
次に思いついたのは、カートン箱の材質が変わったのではないかということだった。
昨シーズン、「あれ?なんかカートン箱のデザインの色味が違うな…」と思ったら、いつも注文しているカートン箱の材料が発注先で在庫不足になってしまい、通常とは違う材質のカートンに印刷をした箱が納入されていて、そのために発色が微妙に違っていた、ということがあった。
私が以前勤めていた医療用具メーカーなら、それこそ包材ひとつでも、材料が少しでも変わる場合は、さまざまな適合検査をしてその結果を顧客に提出し、承認をもらわなければ使用できない、というくらい厳格だった。
さすがに医療用具とアメリカンチェリーでは要求される品質も規格の厳しさもレベルが違うのはわかっているが、カートン箱とはいえ、箱全体にデザインを施した化粧箱だ。見るからに色合いが違うのに、こんなにも簡単に変更してしまうのかと、驚いたことがあった。
そんな“ゆるさ”加減だったから、またいきなり大型サイズのカートン箱の材質が変わりましたとか、印刷のニス加工が変わりましたとか、そんなことが原因で封印テープが剥がれやすくなった、というのもあり得ると思ったのだ。
しかし、残念ながらカートン箱も従来品と同じで、特に仕様の変更はなかった。
ナゾが解けた!
半分お手上げ状態。でも必ず“何かある”。
私は、ワーカーたちに改めて質問した。
「“テープ剥がれ”の原因になるようなことでなくてもいいから、とにかく最近何か変わったこと、今までとちょっとでも違うことはない?」
改めて“原因”と言われると、思考にフィルターがかかってしまう。
とにかくなんでもいいから、原因となりうる要素を聞き出したかった。
すると!実は、手作業でテープ貼りをする時に使用する封印テープだけ、今までと違うものを使用していることが判明した。
通常は、直径25センチメートルほどある封印テープの大きなロール1種類だけを購入している。
この大ロールを各ラインの自動テープ貼り機にセットして、ロールが小さくなってくると取り外し、小さくなったロールは手作業でテープ貼りをする時に使うハンドルがついたテープカッターにセットして使っていた。
大型サイズのカートン箱用にも自動テープ貼り機があったが、すぐ機械の調子が悪くなるので、たいてい大型のカートン箱にはテープ係のワーカーが手作業で封印テープをかけていた。
ところが、今シーズンはチェリーの出荷量が少なく、大ロールの消費がそれほど早くなかったので、テープカッター用の小さいロールができあがるスピードも遅かった。
一方で、大型サイズのカートン箱で出荷する商品のオーダーの割合はそこそこあったため、テープカッターで使う小さいロールの封印テープが間に合わず、今回初めて小さいロールの封印テープを購入していた。
テープ業者の話では、「封印テープ自体は同じもので、単にロールのサイズが大きいか小さいかだけの違い」とのことだったので、購買担当者も当初それを“テープ剥がれ”の原因となるような“変わったこと”や“違い”だとは認識していなかった。確かに見た目は全く一緒だった。
けれど、よくよく比べてみると、今回購入した小さいロールのテープの粘着力は、常温ではそれほど違いはないが、クーラーで冷却されると一気に剥がれやすくなった。
購買担当者もテープ係のワーカーも、テープの見た目や質感は同じだったため、粘着力の違いにまでは気づかなかった。少なくとも、彼らが作業をしている常温下では、粘着力も従来の大ロールのテープとほとんど同じなのだから気がつくはずもない。
封印テープのロール。通常はこのサイズを購入していた
偶然とはいえ、この一件で、マネージャーたちにもワーカーたちにも、改めて品質管理の意味や重要性を実感してもらうことができた。
たかが封印テープだが、もし、普段からミスや不良に対して意識を向けていなければ、そしてこの“小ロールのトリック”に気づかなければ、もっと大量の“テープ剥がれ”が発生し、クレームの対応で大変なことになっていたかもしれない。特に今シーズンは、代替品を出そうにも、そもそもの収穫量が少ないのだから、気軽に代替品も送れない。
ワーカーたちが品質改善を意識するようになってきている、自分たちの作業に責任をもって取り組むようになってきている、とわかってもいたから「どうせまたワーカーが手抜きをして…」などと、ワーカーたちにあらぬ濡れ衣を着せて余計なストレスをかけたり、モチベーションを下げたりすることなく対処することができたし、品質管理の一連の流れをマニュアルで学ぶのではなく、自然な流れで経験してもらうことができた。
何よりワーカーたちが、自信をつけた。
自分たちの手で、きちんと原因を調べ、問題解決ができたのだから。
第18話 “当事者意識”のない人たちが業務改善をぶち壊す
毎日、生産ラインの統括マネージャーにミスや不良の現場写真を撮ったデイリーレポートを提出し、それを統括マネージャーが現場にフィードバックするという取り組みで、ワーカーたちの品質や業務改善に対する意識も高まってきた。
自分たちで品質を確認し、ミスや不良があれば、修正をするのはもちろん、その原因を調べたり、対処方法を考える。当然、余計な手間がかかるし、頭も使う。
昨シーズンのように夜中過ぎまで目まぐるしく生産ラインがフル稼働しているような中では、難しかったかもしれない。
最初に工場に入った時は、大凶作で収穫量が激減していたこともあり、工場の活気はイマイチだった。
一番心配していたのは、このゆるゆるとした生産ラインの流れに合わせて、ワーカーたちの気持ちもゆるゆるとたるんでしまうのではないかということだった。気持ちがたるむと、つまらないミスも増えてくる。
デイリーレポートは、日々の緊張感を保つためにも役立った。
欲を言えば、同じような問題が起きないように、再発予防策についても考えられるようになるともっとよいのだが、昨シーズンの分を合わせて正味2〜3カ月で、ここまでワーカーの姿勢や働き方が変わってくれたのだから、よしとしよう。
結果的には、うまく機能したデイリーレポートの取り組みだったが、スタート時には問題もあった。
昨シーズンと同じことをやるつもりなどまるでない
1年目に続き、2年目も業務改善をしてほしいと依頼してきた西海岸カーゴ社(仮名)の社長は、激減したチェリーの売り上げの埋め合わせをするために、今シーズンはロサンゼルスのオフィスにとどまって別の取引業務の対応をしていた。
それでも西海岸カーゴ社のスタッフ数名は、例年通りチェリー工場の敷地内にある簡易オフィスに入って出荷業務を行っていたし、社長も電話やメールでちょこちょこ報告を受けたり、指示を出したりはしていた。
品質に対する意識向上に協力してくれたラインマネージャーやチーフたち
今回、私がチェリー工場に入った時、社長からは
「Miwaちゃんには、去年と同じように、またパレッタイズやテープ貼りの現場に張り付いて、ミスや不良のチェックをしてもらいたい。
ワーカーたちもMiwaちゃんが見ていれば、ちゃんとやるから」
と指示があった。
今回は、昨シーズンと違って、“通訳”としてではなく、業務改善の“アドバイザー”としてチェリー工場に入ることになっていたから、私も自分なりにどのように業務改善を進めていくか、渡米前にあれこれ多少は考えていた。
到着してみるまで、まさかこんな大凶作になっているなんて知らなかったし、頼んでおいたはずの“権限”もないなんて、完全に想定外だったけれど、いずれにしても昨シーズンと同じことをやるつもりはまるでなかった。
「申し訳ありませんが、もう今年はそんなにパレッタイズやテープ貼りにぴったりくっ付いて、一緒に作業したりするつもりはありません。
私が見ていないとちゃんと仕事ができないというのでは、全く業務改善になっていません。
私が見ていなくても、きちんと仕事ができるようにもっていくのが私の仕事です。
今年は、去年やったことを踏まえて、次のステップに移ります」
私はそう答えた。
「そりゃ、理想はそうだけどさ…、難しいと思うよ。
まぁ、Miwaちゃんに任せるけど」
西海岸カーゴ社の社長も、他の日本人スタッフやアメリカ人のマネージャーたち同様、「どうせメキシコ人だから、どうせ単純作業の労働者だから」という先入観をもっていた。
先入観を持つのに十分な、過去7年間の“実績”もあった。
昨シーズン、私が業務改善に着手するまで、西海岸カーゴ社のスタッフたちは、毎年毎年、約0℃のクーラー(冷蔵倉庫)の中で、夜中過ぎまで、ひたすらメキシコ人ワーカーのいいかげんな作業の尻拭いをするために、過酷な労働に耐えてきたのだ。
「自他共に認める“ルーズで怠け者”のメキシコ人を相手にしているんだ。そんなに簡単にいくわけがない」
「昨シーズンのように、お目付役がいれば、ちゃんと仕事はするだろうが、見張っていなければ、すぐに怠ける」
そう思うのもムリはない。
メールバラまき事件で女性統括マネージャーが窮地に
取りあえず“任された”私は、生産ラインの統括マネージャーと交渉して、“権限”を手に入れ、品質改善に取り組むべく、デイリーレポートを提出することにした。
一応、その旨を西海岸カーゴ社の社長にも報告すると、社長は
「そのレポート、俺も見たいから、こっちにもメールしてくれる?」
と言ってきた。
私は統括マネージャーに送った当日のレポートを社長にもメールで送った。
デイリーレポートより。異なる商品が、同じパレットに積まれている。
ところが…。
翌朝、私が工場に到着するとすぐ、統括マネージャーから彼女のオフィスに呼び出された。
統括マネージャーの表情はとても険しく、オフィスの空気は重かった。
「Miwa、あのデイリーレポートなんだけど。
西海岸カーゴ社の社長にも送ったの?」
とてもじゃないが「うん!送ったよ〜!」なんて笑顔で答えられるような雰囲気ではなかった。けれど、送ったことは確かだ。
何かいけないことをしてしまったのかと、私は頭を高速回転させながら、ゆっくり答えた。
「うん、送ってほしいって言われたから、送ったけど。
一応、私の雇い主は社長だから、私がどんなことをしているのかは報告しないといけないし…。
何かあったの?」
統括マネージャーは大きなため息をついて
「今後は絶対に社長にレポートを送らないで。
営業マネージャーや、品質管理マネージャーや、他の人にも送らないで。
これは、Miwaと私だけの間でやりましょう。」
と言ってきた。
なんと、西海岸カーゴ社の社長は、私が送ったデイリーレポートをそのまま添付して、チェリー工場の社長や営業マネージャー、品質管理マネージャー、さらには、直接チェリー工場の業務には関係のないロスにいる西海岸カーゴ社の社員などにも一斉にメールを送っていた。
しかも
「これ、どうするおつもりですか?」
というメッセージを付けて。
もしかしたら、西海岸カーゴ社の社長にはそれほど悪気はなく「今後、品質改善をどのようにしていく予定ですか?」くらいの気持ちで書いたのかもしれない。だが、チェリー工場のマネージャーたちはそうは受け取っていなかった。
「おい、おまえんとこの品質管理どーなってんだよ!
こんなの出荷していいと思ってんのかよ!
どーすんだよ、これ!」
と、怒鳴り込まれたくらいの「どうするおつもりですか?」だった。
このメールを受け取ったチェリー工場の営業マネージャーは、過剰に反応し、ここぞとばかりに統括マネージャーを責め立てた。
「今までこんな品質のものを出荷してたのか!
だからこっちはクレーム処理で大変なんだよ!
現場がしっかりしてないからだろ!
どうするんだよ!」
どこの工場でもよくあることだが、営業と生産や、生産と品質管理、あるいは品質管理と営業は、あまり仲が良くない。
逆に仲が良過ぎて、なれ合いの関係になってもらっても困るのだが、単に対立してお互いに責任のなすりつけをしているだけでは意味がない。
今回指摘されるまで、数年間もこんな状況を放置していたのは品質管理マネージャーも一緒だし、営業マネージャーも、今まで代替品の出荷やクレーム処理でどれほどのコストがかかっているのか計算さえしたことがない。西海岸カーゴ社の社長にしても、ただひたすらスタッフに修正作業をさせてきただけだ。
決して、統括マネージャーだけが責められるべき問題ではない。
しかも、統括マネージャーは、マネージャークラスで唯一の女性だ。
こういう時に一気にたたかれるのは、想像に難くない。
せっかく、現場は少しずつ品質に対する意識が高まって、自主的に業務改善に取り組もうとしている矢先。
ここで頭ごなしに、「おい、どーすんだよ!!」とたたかれてしまっては、現場は動かなくなる。
「彼らは絡めないで、私たちだけでやりましょう」
それが統括マネージャーの考えだった。
以来、このデイリーレポートから始まった品質改善業務は、統括マネージャーや現場にいる女性チーフたちを中心に進められた。
私は、デイリーレポートを統括マネージャーだけに送り、現場にいる女性チーフや昨シーズンから仲良くなっていた男性の各ラインマネージャーやチーフたちが、現場のワーカーたちへの啓蒙に協力してくれた。
誤解してもらいたくないのは、これは性別の問題ではなく、“当事者意識”の問題だということだ。
自分は何を動くでもなく、高みの見物をしながら「どうするつもり?」「こんなんじゃダメじゃないか、どうにかしてもらわなきゃ困るよ」と言っているだけの人が、下手に口を出してくると話がややこしくなる。
欠点や問題点を見つけて批判するだけでは“当事者”とはいわない。
問題を解決するために、状況を改善するために、自らの問題点を見つけ、自らが動いて、初めて“当事者”だ。
けれど、“当事者”は、当然、自分のマイナス面をさらけ出し、今までできていなかったことや問題点を認めて、自分自身と向き合わなければいけない。
問題解決のための新しい一歩には、失敗したらどうしよう、うまくいかなかったらカッコ悪い、という不安やリスクも必ず生じる。
だからなかなか行動を起こせない。
実際、その後、営業や品質管理のマネージャーや西海岸カーゴ社の社長が品質改善に関して具体的な行動を取ることも、口を出してくることもなかった。
「“現状”は自分の責任だ」と受け止められないのなら、向き合えないのなら、関わらない方が無難だ。
本当の“成果”や“自信”を手に入れることができるのは、自分自身に挑める“当事者”だけなのだから。
チェリーの品質チェックの様子を撮影するラインマネージャー。自分たちで作業手順や品質管理を意識するようになった。
第19話 女神と鷲――ワーカーたちからの信頼と心の交流
2016年02月16日
西海岸カーゴ社(仮名)の社長は、とにかくジョークやいたずらが大好きな人だった。“おやじギャグ”の連発はもちろんだが、長年の海外生活のせいか、日本人の感覚では考えつかないような悪ふざけやいたずらも多かった。たまに度を超し過ぎて相手を怒らせてしまったり、トラブルになることもあったが、とにかく毎日次々といたずらを仕掛けては楽しんでいた。
“人気度”を測る実験で予想外の結果に
チェリーシーズン1年目のことである。ある日、
「Miwaはパレッタイズのワーカーにとても人気があるというけれど、一体どれほどの人気なんだ…?」
そう思った西海岸カーゴ社の社長は、ある“実験”を思いつく。
もちろん、私が自分で「私は人気者です」と言ったわけではなく、私が現場に入ると笑顔で挨拶をしてくるワーカーたちの姿を見て、西海岸カーゴ社のスタッフたちが、「Miwaは人気者だ」と社長に話したらしい。
社長の“実験”は、私の顔写真をレターサイズ(A4サイズほどの大きさ)の紙にプリントアウトし、チェリーのカートン箱のふたの上に貼り、そのカートン箱をパレッタイズの手前の生産ラインから流す、というものだった。
「もしMiwaが本当に人気者なら、ワーカーたちは、ファンクラブのファンのようにカートン箱に飛びついて、Miwaの写真の奪い合いになるんじゃないか…」
それが社長の予想していた光景だった。
たとえ、誰かの“人気度”を知りたいと思ったとしても、日本の企業でこんな方法を思いついたり、試す人はいないだろう。下手したら、セクハラで訴えられかねない。
社長は、私の顔写真付きのカートン箱を生産ラインのベルトコンベアに流してから、そっと物陰に隠れてパレッタイズセクションの様子をうかがっていた。
ところが。
予想に反して、写真付きのカートン箱がパレッタイズのセクションに流れていっても、ワーカーたちは飛びつかない。
「Miwaの写真だ〜!」と、みんなで騒ぎはするものの、飛びつきもしないし、奪い合いにもならない。
カートン箱はそのままパレッタイズのベルトコンベアをゆるゆると流れていった。
「な〜んだ、つまらん。
別に大した人気でもないということだな」
と、社長はそのまま事務所に戻ってきた。
この時、私はパレッタイズのセクションから離れたところにいて、社長のこの“実験”を全く知らなかった。
私が西海岸カーゴ社の事務所に戻ると、社長が妙な笑みを浮かべて
「Miwaは人気がある、人気があるって聞いてたけれど、大したことないな」
と言ってきた。
けれど、私には何のことかさっぱりわからなかった。
「何のことですか?」
と聞いてみたものの、社長は
「いやいや、別にいいんだけどね。ま、その程度だよね」
と、妙な笑みを見せるだけだった。
いたずらの写真が“チェリーの女神”に大変身!
気にはなったが、私が自分で「私は人気者です」と言っていたわけではないし、人気者になるために仕事をしているわけでもないので、放っておくことにした。
私はそのまま事務所を出て、いつものように生産ラインの巡回に向かった。
パレッタイズのセクションに近づくと、ワーカーが
「Miwa、こっちに来て!!見て、見て!!」
と駆け寄ってきた。
手を引かれて行ってみると、なんと、私の写真が、パレッタイズセクションの正面の壁の高いところに飾られていた。
「Miwaの写真がね、流れてきたんだよ。
だからここに飾ったんだ」
「ここに飾っておいたら、いつでもMiwaが僕たちを見守ってくれているみたいだろ?」
「Miwaはオレたちのマリア様だからな!」
ワーカーたちはにニコニコしながら、写真が流れてきたことから、それを壁に飾るまでの経緯を話してくれた。
私はようやくさっきの社長の妙な笑みと言葉の意味が何となくわかった。
日本ではよくオフィスや工場内に、社是や経営理念、行動目標などを掲げているのを見かける。
しかし、欧米の会社では、そのような標語を壁に飾ってあるのを見かけることはあまりない。どちらかというと、創業者や歴史上の偉人などの写真や肖像画が飾ってあることの方が多い。
国民の約9割がカトリック教徒で、信仰心もあついメキシコでは、家の中はもちろん、オフィスや工場、学校から街角、車の中まで、いたるところで「グアダルーペの聖母」と呼ばれる褐色の肌を持つマリア様の像や肖像画を見ることができる。
けれど、このチェリー工場の壁には、標語もなければ、社長の写真も「グアダルーペの聖母」も飾られてはいなかった。
自社の社長の写真すら掲げていない工場で、まさか私の写真を飾ってくれるとは思いもしなかった。
殺風景な工場の壁に、ポツンと私の写真だけが飾られていた。
驚きとうれしさが一緒くたになっている私を、パレッタズのワーカーたちが拍手で迎えてくれ、“Miwaコール”が起きて、ちょっとした騒ぎになった。
あの時の高揚感は、今でも覚えている。
騒ぎを聞きつけて、隣のセクションからもワーカーたちがのぞきに来て、そのまた隣のセクションにも噂が飛んだ。
そのうち生産ラインの統括マネージャーまでもが、噂の写真を見にパレッタイズセクションにやってきた。おそらく工場始まって以来の出来事だ。
仕掛人の西海岸カーゴ社の社長も騒ぎを聞いてやってきた。
「なんだこりゃ!
写真に飛びつかないから、大したファンクラブじゃないなと思ったら」
“想定外”の状況で、あっけにとられている社長に、
「私の人気は、ファンクラブとかそーゆーレベルじゃないんです。
教祖様レベルなんで!」
と、私は笑って返した。
こうして私は、“チェリーの女神”になった。
その日、即席で飾られていた私の写真は、翌日にはしっかりとした台紙に貼られ、シーズンの最後までずっと飾られていた。
1年目に通訳だった私が、2年目にアドバイザーとして工場に入ることができたのは、このエピソードのおかげかもしれない。
“教祖様”や“女神”は言い過ぎだとしても、ワーカーたちが私のことを「いつも細かいことを言ってくるうるさいネェちゃんだ」ではなく、「いつも見守ってくれている存在だ」と認識してくれていることを知って、私はほっとした。そして、ワーカーたちは私が思っていたよりずっと前向きで、理解のある人たちなのだと改めて感じた。
“鷲”のように見守っている存在
実は、“見守ってくれている”と感じていたのは、パレッタイズの男性ワーカーたちだけではなかった。
2年目のチェリーシーズン、私が足しげく通ったのは、選別のセクションだった。
次々と流れてくるチェリーの川の中から、傷モノのチェリーをどんどん拾い上げていく作業や、おばちゃんワーカーとのお喋りで情報収集をするのが大好きだった。
デイリーレポートの作成や不良の修正作業などで、選別工程の作業に入る時間が取れない日でも、選別のセクションに顔を出して挨拶だけはしていた。
選別のセクションに限らず、毎日工場を巡回して、それぞれのセクションのワーカーに笑顔で挨拶をするのが私の日課だったし、それは2年目も変わらなかった。
選別のチーフからもらった鷲のキーホルダー。鷲はメキシコの象徴
シーズンも中盤を過ぎた頃、私は選別のセクションのチーフクラスの女性ワーカーから鷲のキーホルダーをもらった。
「Miwaは私たちの鷲だよ。
いつもあちこち飛び回って、私たちを見守ってくれているから」
メキシコ人にとって、鷲には特別な意味がある。
鷲はメキシコのシンボルだ。国旗にも、ヘビをくわえた鷲がサボテンに止まっている姿が描かれている。
男性ワーカーからは、女性の象徴ともいえる“マリア様”と言われ、女性ワーカーからは男性をイメージさせる“鷲”だと言われたのは、偶然かもしれないが、とても興味深かった。
いずれにしても、男女関係なく、ワーカーたちから“見守ってくれている存在”だと思ってもらえたのは、本当にうれしかった。
指先がすぐかじかみ、脳ミソも凍るような0℃のクーラー(冷蔵倉庫)の中で、夜中まで作業をしたり、大柄な男たちに交じって肉体労働をしたり、根気よく品質についての話を続けてきたことが、全部報われた気がした。
そうこうするうちに、2年目のチェリーシーズンは、あっという間に終わりを迎えた。
大凶作で、いい品質のチェリーがあまり収穫できなかったことに加え、カリフォルニアの後にチェリーのシーズンが来るワシントン州は、皮肉にもこの年大豊作だった。当然、業者やワーカーたちはどんどんワシントン州に流れていった。
そして、私が工場に来るのは、これで最後という日。
またもや私は感動のシーンを体験する。
【エピローグ】本当のダイバーシティ――“自分とは違う”相手を認めて受け入れる
2016年03月01日
2年目のチェリーシーズンは、あっという間に終わりを迎えた。 まだやりたかったことは色々あったが、肝心のチェリーが採れないのではどうしようもない。
生産ラインは、あと数日間は、か細く稼働する予定だったが、私は西海岸カーゴ社(仮名)のスタッフに後片付けを任せ、一足早くチェリー工場を引き上げることになった。
一人ひとりとハグしてお別れのあいさつ
段々とチェリーの収穫量が少なくなってきていたから、西海岸カーゴ社の社長から「もう引き上げていいよ」といつ言われてもおかしくない状況だったが、当初言われていたより数日早く、その日は来た。
「Miwaちゃん、もう明日ラストでいいよ」
ある晩、いきなりロスにいる社長から連絡が来た。
1年目はこの唐突なスケジュール感覚に驚いたが、2年目ともなると、私ももう慣れていた。
予測の立たない青果を扱っている、というだけではなく、西海岸カーゴ社の社風も大いにあったとは思うが、とにかくチェリーシーズンでは、“予定”や“計画”という言葉は、ないに等しかった。
そして、最終日。
私は、みんなにお別れのあいさつをするために、いつものように工場の各セクションをまわった。
数日前から、「Miwaはいつまでいるの?」「さぁ、まだ今週いっぱいはいると思うよ」というような会話はちょこちょこ出ていたし、そろそろお別れの日が近づいているというのは分かっていたが、いきなり「今日で最後」と言われると、やはりワーカーたちも動揺する。
「今日で最後なのよ。今年も色々助けてくれてありがとう!」
いつもは手を振ったり、笑顔を返し合うだけのワーカーたちとも、最後となると、一人ひとりハグをしたり、頬にキスをしてお別れのあいさつをした。
メキシコやラテンの国々では、女性が家族や友人とあいさつをする時、ハグや握手をして頬にキスをするのが一般的だ。
キスといっても、頬と頬をくっつけて「チュッ!」と音を立てる程度だが、学校や職場、パーティーなど、いつでもどこでも「おはよう」や「バイバ〜イ」の度に、友達一人ひとりとこのあいさつをするので、かなり時間がかかる。
時間はかかるが、このひとつひとつ丁寧なあいさつに、相手を思いやる気持ちが現れているようで私は大好きだ。
ちなみに、男性同士の場合は、親子や恋人でない限り、ハグや握手のみで、キスはしない。ハグも親しい友人間に限られる。
こうして時間をかけて、工場のワーカーたちとお別れのあいさつをしながら、2年目のシーズン中、一番仲良くしていた選別のセクションにたどり着いた。
おばちゃんワーカーたちからのサプライズ
「今日で最後なの」
と告げると、おばちゃんワーカーたちはお別れのあいさつをするどころか、口々に
「それは困るわ」
「どうしても明日もう一度来てもらえない?」
と必死になって言ってきた。
私は、西海岸カーゴ社の社長に話をつけ、翌日半日だけ工場を訪れることにした。
手を振ってあいさつを返してくれる選別の女性ワーカーたち
翌日、今日こそ本当にお別れのあいさつをしようと、空中通路を渡って選別のセクションに行くと、「待ってました!」とばかりに、選別の女性ワーカーたちが一斉にこちらを見上げて、
「Miwa、Miwa、ラー、ラー、ラー!」
と大歓声を送ってきたのだ。
サッカーの応援などで「メヒコ、メヒコ、ラー ラー ラー!」というエールを聞いたことのある読者もいるのではないだろうか。 これは、“Chiquitibum”というメキシコの代表的なエールで、メヒコ(Mexico)の部分を選手の名前に変えて使ったりもする。
そのエールを、おばちゃんワーカーたちが、一斉に私に向けて
「A la vio, a la vao, a la bimbomba, Miwa, Miwa, Rah rah rah!!!」
と、手を叩きながら、満面の笑みで、送ってくれたのだ。
そのサプライズに、私は“チェリーの女神”になった時と同じくらい感動して、嬉しくて、思わず涙が出そうになった。
それはあまりに“メキシコ”だった。
「Miwa、Miwa、La〜、La〜、La〜!!」大きな声でエールを送ってくれる
サプライズはそれだけでは終わらなかった。
なんと、おばちゃんたち一人ひとりが、私にプレゼントを用意してくれていた。
ロザリオと呼ばれる十字架のお守りや、ブレスレット、チョコレート、洋服、香水、手紙などなど。
お察しの通り、工場のワーカーの給料はそれほど高くない。しかも、朝から晩まで1日の休みもなく作業をしている。その合間をぬって、わざわざプレゼントを用意してくれていたのだ。
前日、おばちゃんたちが必死で「明日もう一度来てほしい」と言っていたのは、このためだった。
私は、おばちゃんワーカーたちと一人ずつ順番にハグとキスをしながらプレゼントを受け取り、一緒に写真を撮り、お別れの言葉を交わした。
泣いてくれているおばちゃんもいた。
「もう何年もここでチェリーの仕事をしているけれど、今年が一番楽しかったわよ」
「Miwaがいてくれたから、仕事が楽しくなった。ありがとう」
そう声をかけてもらったけれど、毎日おばちゃんたちの笑顔に癒されていたのは、実は私の方だった。
“チェリーの女神”同様、ワーカーたちが工場内で「ラーラーラー!」と大声援を送るなんていうのは前代未聞だった。
私が2シーズン、計3カ月に渡ってチェリーでやってきたことの集大成が“チェリーの女神”であり、“Chiquitibumの大声援”だった。
「これが、私がやってきたことです」
その時の様子を撮影した動画を、私はチェリー工場の社長や統括マネージャーたちにも見せた。
誰もがその動画を見て、驚きの表情を隠せなかった。
本当の“ダイバーシティ”とは
私が日本に帰ってきてからチェリー工場での出来事をある人に話した時、
「山本五十六さんのようですね」
と言われたことがあった。
「山本五十六??? なんで?」
言われた瞬間、一体なんのことやら、私にはさっぱりわからなかった。
「“やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ”。
Miwaちゃんはまさにそれを実践している」
あまりに有名で名言と言われる言葉だが、たいして学のない私は、それまでこの言葉をほとんど意識したことがなかった。
やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
言われてみて、「やはりそうなのか」とも、「そんなものなのか」とも思った。
チェリーの他にも、これまで様々な国の人たちと仕事をしてきた。
多少、文化や宗教などの違いがあるにせよ、人が喜んだり、怒ったり、感謝したり、あるいは協力してくれたり、くれなかったりする根本的なことに、それほど大きな違いはないような気がする。
本質はシンプルだ。
国籍や性別や年齢などに関係なく、人が自発的に動き、成長し、充実感を得るために必要な要素や過程は、おそらく一緒なのだろう。
確かに、そこに言語や社会的背景のような要素が絡むと、複雑に見えてしまうし、実際、多少複雑にもなる。
けれど、国籍や言語云々の前に、まず向き合わなければならないことがある。
このコラムを読んでくれた方たちから、色々な感想をいただいた。
全く別業種の、それこそ生産業や物流業でもなく、グローバル企業でもなく、職場に外国人がいるわけではない人たちからも
「自社に置き換えてみると、気づかされることが多く、大変参考になりました」
「読んですぐ、社内の人事関係者やマネージャー層に“これを読め”とメールを送ったよ」
といったコメントをいただいた時には、とてもうれしかったし、伝えたいことがちゃんと伝わっているのだと、安心もした。
皆さんも、もうお気づきだろう。
「超ダイバーシティの〜」というタイトルのもとに、国籍や文化の異なるカリフォルニアでの日本人スタッフやメキシコ人ワーカーの話を書いてきたが、フタを開けてみれば、何の事はない。
海外や外国人相手のビジネスに限らず、日本国内の日本人だけが働く職場でも同じように、心当たりがあったり、共通するエピソードがチラホラあったのではないだろうか。
プロローグで、「海外は関係ない、日本人としか仕事をしていない、という人にも、ぜひ読んでいただきたい」と書いたのは、このためだ。
本当の“ダイバーシティ”は、日本人が思うよりもっと身近にある。
隣の人は、当たり前のように、自分とは違う感覚や、考えをもっている。
“自分と相手は違う”ということを認め、どこまで理解し、受け入れ、向き合えるか。
“受け入れる”とは、相手に合わせる、相手の言う通りにする、ということではない。
自分と違う感覚や考え方が“存在する”ということを、認めること。 まずはそこからだ。
自分とは違う人がいる。
その人とはまた違う人がいる。
自分もまた、他の誰とも違う。
その人と人がコミュニケーションをとってつながっていく。
簡単なことではない。
だからこそ、人は面白い。
今回のこの連載コラムが、皆さんのちょっとした刺激になったのなら幸いだ。
工場にかかったダブルレインボー。カリフォルニアはとにかく空が広かった