【プロローグ】ここはどこ?私は誰?ーーアメリカのチェリー工場へ

2015年06月09日

またこの季節がやってきた。
アメリカンチェリーのシーズン。

2013年と2014年の初夏。
私は、ロサンゼルスから500キロメートル以上離れた、カリフォルニアの青く広〜い空の下にいた。

事の始まりは、2013年の4月初め。
ロスにある日系の物流会社西海岸カーゴ社(仮称)の社長から突然、国際電話がかかってきた。

「Miwaちゃん、2カ月間でいいから、こっちで通訳の仕事してくれない?
スペイン語と英語と日本語ができる人が必要なんだよ。
Miwaちゃんが適任だと思うんだ。いや、Miwaちゃんにしかできない仕事だと思う」

“私にしかできない仕事”…そういうのに弱い…
これまでにも海外で仕事をしたことはあったから、軽〜いノリで引き受け、1カ月後のゴールデンウィークには日本を飛び立った。
2カ月間、ロス生活もいいじゃない!

仕事の内容については大雑把にしか説明がなかったけれど、日本に空輸で運ぶ荷物の倉庫で、ワーカーたちに指示出しをする通訳をして欲しい。みんな、一応英語は話せるけれど、メキシコ人のワーカーと、日本人スタッフとの間のコミュニケーションがいまいちで困っている。そんな内容だった。

ロスぢゃなかった…

てっきり、ロスの空港近くの倉庫や事務所で仕事をするものだと思って来たが、ロスにいたのは、到着した日だけ。
翌朝にはロスを出発し、行き先も告げられないまま、乾いた大地が続くハイウェイを500キロメートル以上も走り、聞いたこともない町にたどり着いた。市街地を抜け、さらに郊外へ進む。いったいどこへ連れて行かれるんだ…?

そのうち民家もまばらになり、道路の両脇は見渡す限りのチェリー畑になった。
たま〜にトラックとすれ違うだけの田舎道を突き進むと、チェリー畑のど真ん中に、いきなり広大な敷地の工場が現れた。

道路脇に広がるチェリー畑

 

そこはアメリカンチェリーの出荷工場だった。
周囲のチェリー農家が収穫したチェリーを工場に納入し、工場が燻蒸消毒を行う(日本に輸入される果物には、消毒による害虫駆除が義務付けられている)。さらに工場で、洗浄、選別、箱詰め、冷却といった工程を経た後、チェリーはトラックで空港まで運ばれ、日本やその他のアジア諸国、ヨーロッパなどの海外市場やアメリカ国内の市場に空輸される。

西海岸カーゴ社は、このチェリーの海外への出荷手配を行っていた。
出荷量に合わせて、空港までのトラックや航空機の貨物スペースを確保し、工場の倉庫で出荷前の商品チェックをし、輸出入に必要な書類を揃えて、トラックに積み込む。日本の大手スーパーマーケットチェーンとの取引もあり、商品の質はもちろん、スピーディーかつ正確で、丁寧な対応が求められた。

チェリーの事情

アメリカンチェリーは付加価値が高く、農家や工場にとっても重要な収益源。多い時は、700人以上の季節労働者が集まって工場で出荷作業に従事する。ひとたびチェリーのシーズンが始まると、農家も工場のワーカーも1日も休むことなく、毎日朝から晩(時には夜中)まで出荷作業を行う。

カリフォルニア州のアメリカンチェリーの収穫時期は、気候によっても多少差があるが、4月中旬〜6月中旬の約1カ月半〜2カ月間。チェリーのシーズンが終わると、タマネギ、スイカ、パプリカ、ウォールナッツなどの農産物が続く。

チェリーワーカーは、カリフォルニア州のチェリーシーズンが終わると、オレゴン州やワシントン州のチェリー工場へ移動し、あるいは他の仕事をし、また翌年チェリーのシーズンになるとこの地に戻ってくる。

ロスの市街地で仕事をするつもりで来たら、チェリー畑の広がるド田舎で、しかも当初イメージしていた“通訳”の仕事からは、想像もつかないほど、過酷な労働が待っていた。
0℃前後の冷蔵倉庫の中で寒さに耐えながら、男性ワーカーに混じって、5〜10キログラムあるチェリーの箱を上げ下ろしする…しかも毎日、朝から夜中過ぎまで。

結果的に、私は“通訳”を超えて、業務改善にまで着手することになる。
けれどそれこそが、“私にしかできない仕事”だったのだと、今だから言える。

 

アメリカンチェリー

 

超ダイバーシティの世界

日本で“ダイバーシティ”というと、女性の活用だとか活躍推進だとか、正社員と非正社員だとか、割と範囲の狭い話になる。
けれど、本当のダイバーシティはそんな狭いものではない。雇用形態の違いはもちろん、国籍や人種、言語や宗教、文化や習慣の違い、貧富の差、教育レベルの差…。一歩世界へ踏み出せば、ありとあらゆるものが渦巻いて、交錯し、絡み合っている。

私が経験したチェリーシーズンには様々な要素が凝縮されていた。
メキシコ人、アメリカ人、日本人…地元の人間とチェリーのシーズンだけここに来る季節労働者。アメリカ国籍を持つものと移民。ホワイトカラーとブルーカラー、管理するものと管理されるもの、身体に障害を持つもの、若年層の妊婦、レディーファーストとマチスモ(男性優位主義)、様々な考え方や価値観が渦巻く、超ダイバーシティの世界。

そんな世界で、どのようにしてコミュニケーションを図り、人の能力を伸ばし、自信をつけ、モチベーションをあげ、人を育てていくのか。

2013年と2014年の計3カ月間、私がカリフォルニアのチェリー工場でリアルに経験し、実践したエピソードを、マネジメントや人材育成の視点から、ご紹介していこうと思う。

海外は関係ない、日本人としか仕事をしていない、という人にも、ぜひ読んでいただきたい。

新しく視界が広がる“きっかけ”が必ずある。

チェリー工場のワーカーと

 

第2話 0℃下、夜中まで肉体労働する“通訳”!?

2015年06月16日

私を呼んだ西海岸カーゴ社(仮名)はロスの国際空港のすぐ近くにオフィスがあるが、チェリーのシーズンだけ、ロスから500キロメートル以上離れた片田舎にある広大なチェリー工場の一角に簡易オフィスを置いて、日本人をメインとする10人ほどのチームで出荷業務に対応する。

ロスのオフィスからメインスタッフを3〜4人、日本の本社や系列会社からも海外研修をかねて若手社員を1〜2人派遣してもらい、現地のアルバイトも2〜3人集める。

西海岸カーゴ社がチェリーの出荷業務を請け負うようになってから8年目だったが“通訳”としてチェリーのプロジェクトに参加したのは、私が初めてだった。

西海岸カーゴ社のスタッフは、チェリー工場に所属するフォークリフトのドライバーとペアを組んで作業をする。
ドライバーは全員メキシコ人だし、工場の他のセクションのワーカーもほとんどがメキシコ人だったけれど、みんな日常的に英語を話すし、業務そのものにそれほど高度な英語力は必要ない。一見、日本人スタッフとのコミュニケーションは問題なさそうに見える。
そういう意味では、これまで“通訳”は必要なかった。

“通訳”に期待された役割

けれど、日本の某大手スーパーマーケットチェーンとの契約が決まり、西海岸カーゴ社はこれまで以上の品質、スピード、正確さを求められることになった。それには、チェリー工場のワーカーとのコミュニケーションが何よりも大切になる。ちょっとした言葉や価値観の違いから、思わぬ誤解やミス、トラブルが発生するのだ。

さらに、過酷な労働環境下にいれば、たとえ同じ日本人同士だって疲労とともにイライラし、衝突することもある。元々考え方や感覚が異なる人種間ならなおさらのこと、コミュニケーションが粗雑になる。

そこで今回、“通訳”の私が“円滑なコミュニケーション”のために加わることになった。実際は通訳などいなくても、英語で仕事の指示や意思疎通は図れる。

当初、西海岸カーゴ社の社長が私に期待していた役割は、フォークリフトのドライバーに、何か“頼みづらいことをお願いしに行く”ことだった。スペイン語を流暢に話すラテン系の女子がニコっと笑って「ぷりぃ〜ず」と頼めば、メキシコ人の男性は断らない。コミュニケーションは“円滑”にいく、そういう目論見だった。

けれど、私の仕事は、単なる“通訳”の仕事に留まらなかった。ニコっと笑っていれば済むという仕事ではなかった。
チェリー工場の“倉庫での通訳”の仕事は、私の想像をはるかに超えて過酷だった。

冷蔵倉庫(クーラー)のフォークリフトチーム

 

脳ミソが凍る…

チェリーは箱詰めされた後、鮮度を保つためにクーラーと呼ばれる巨大な冷蔵倉庫の中で急速に冷やされる。クーラー内の温度は0℃前後。出荷まで数時間しっかり冷やされたチェリーは、冷蔵トラックで空港に運ばれ、空輸で世界各地に届けられる。

日中、カリフォルニアの青い空の下、外の気温は40℃近くまで上がる。湿気がないので日本ほど暑さは苦にならないが、太陽の照りつけ感はすごい。外の気温が上がれば上がるほど、クーラーの中の冷却は強くなる。もともと気温が低いのに、さらに急速冷却用の巨大な送風機が回ったりすると、体感温度はもっと低くなり、まさに凍りつく。耐えられたものではない。

フォークリフトのドライバーたちは冷蔵倉庫専用の分厚い防寒服を着ているが、私たちにはスキーウェア程度の装備しかなかった。指先を使う作業もちょいちょいあるので、手袋を外さないといけないことも多い。指先はすぐに寒さで感覚が麻痺して動かなくなる。

もちろん、ずっとクーラーの中にいたら死んでしまうので、約1時間おきに外に出て小休憩をとるが、作業量が多いときは2時間くらいクーラーに入りっぱなしになることもあった。冷えきった身体は数分程度外にいたくらいで復活するものではない。

寒さがこんなにも人間の思考能力を弱め、体力を奪うものなのかと驚いた。本当に脳ミソが凍って、箱の数を数えたり、簡単な暗算をするのも危うい。

クーラーでのチェック&積み込み作業の様子

 

夜中のラッシュ

出荷の作業は、全行程の一番最後なので、ピーク時には仕事が終わるのが夜中の1時や2時になることもしばしばあった。0時前に終われば「今日は早めに終わったね」で、22時前に終わることはなかった。
しかも、チェリーの収穫は1日の休みもなく続いた。約2カ月の限られたシーズン内に収益をあげるため、チェリー農家はできるだけ多くのチェリーを収穫し、工場もどんどん出荷する。連日午前様だった。

工程の順番の問題だけでなく、チェリーの出荷量の不確定さも出荷作業が遅い時間帯になる要因だった。

農家から納入されたチェリーは、夜中のうちに燻蒸され、翌朝から洗浄作業に入る。工場に納入されたばかりの時は、小枝や葉、傷んだチェリー、まだ熟していないチェリーなども混じっているし、チェリーのサイズもバラバラだ。

洗浄の後、センサーでサイズごとに分け、手作業で傷んだチェリーを丁寧に取り除くと、実際に出荷できる“商品”となるチェリーの量は、元の納入量の数割にしかならない。
チェリーの品質は日によってバラつきがあり、実際に箱詰め作業が終わってみるまでは、その日どの品種のどのサイズが何箱出荷できるのかわからない、という状況だった。夕方あるいは夜になって、出荷量のメドが立ったところで、営業担当はオーダーごとにチェリーをどんどん振り分けていく。

顧客からのオーダーは、品種とサイズごとに、ビング種のサイズ10号を500箱と、ブルックス種のサイズ11号を250箱…というように指定されてくる。
営業担当の手腕の見せ所にはなるのだろうが、顧客が欲しがるものはどこもだいたい一緒なので、こちらを立てればあちらが立たず…で、限られた時間の中でバタバタとオーダーの内訳を決めていかなければならない。

確定したオーダーを、やっと内訳書の指示通りにクーラーでセットし終わったと思ったら、やっぱり変更が出た、なんていうことも頻繁で、ひどい時には1つのオーダーに対して、10回近く内訳が変更になったこともある。
その度に0℃近い極寒のクーラーの中で、西海岸カーゴ社のスタッフはパレットを崩して、積み直したり、あちらのオーダーとこちらのオーダーの商品を入れ替えたり…ということを繰り返すのだ。
最後の微調整はトラックを空港に向けて出発させなければいけない時間ギリギリになることもよくある。

そんな体力勝負の作業を、私は他の男性スタッフと一緒にやるハメになった。
こんな過酷な労働環境で仕事をするなんて、全く想像していなかったし、倉庫の中で、力仕事をしている女性は私だけだった。

それでも、0℃という環境下、夜中までの作業、肉体労働ということなら、まだ耐えられた。 けれど、本当に私が戦わなきゃいけない相手は、そんな表面的なものじゃなかった。

ローディング(荷積み)待ちのトラックの列

 

第3話 日本人だからこそできる仕事!?——仕事熱心?怠慢?

2015年06月23日

一口にアメリカンチェリーと言っても、ビング、ブルックス、チュラーレ、シュラン、ガーネット、レーニアなど様々な品種があり、果実のサイズにより価格も異なってくる。当然、大粒の方が高価になる。
チェリーは、高級品、B級品、海外向け、国内向け、パッケージの仕様の違いなどにより、数種類のブランドに分けられ、通常5キログラム単位でブランドごとにデザインの異なるカートン箱に入れられる。
箱には、チェリーの品種、サイズ、ロット番号、向け地(国名)などが印字されていて、輸出の場合は、さらに向け地によって指定されている特別な表記事項や、封印テープが必要になる。

クーラー(冷蔵倉庫)の中は、チェリーを積んだパレットの冷却&保管スペースと、出荷準備スペースに分かれていて、メキシコ人のフォークリフト・ドライバーが、1オーダーの内訳に合わせて保管スペースから出荷準備スペースにチェリーのパレットを運んでくる。その内訳を日本人スタッフが再チェックするという業務の流れだった。

厳しい青果の通関

出荷準備の作業に日本人が絡んでいるのは、オーダーの内訳と積荷の内容(ブランド、品種、サイズ、数量など)が合っているかを確認し、それぞれの向け地に必要な表記事項が印刷されているか、封印テープは貼られているかなどの梱包状態を、1箱1箱、正確にチェックするためである。単に箱を上げ下ろしして荷造りをするためだけなら、賃金が割高な日本人を使う必要はない。

運賃の高い航空便で、はるばる日本にチェリーを送っても、カートン箱のインクジェット表記がかすれて判読できない状態だったり、封印テープがなかったり、はがれかけていたりすれば、1箱でも通関で止められて焼却処分となる。

顧客に商品が届かなければ当然クレームになる。顧客へのクレーム対応や、輸送先の税関や乙仲(通関代行)業者とのやりとりにも時間を割かれるのはもちろんだし、売り上げも立たない。しかも、航空運賃や空港倉庫での一時保管料、焼却処分費など、かなりのコストがかかり、すべて出荷元のチェリー工場の負担になる。
それだけに出荷前の積荷のチェックは厳しくならざるを得ない。

日本向けには、USDAの表記のある封印テープをぐるりと貼る

日本向けにも必須の封印テープは、箱の両側面と上部(または底部)にかけてぐるりと貼っていなければならない。封印テープがなかったり、剥がれていたり、切れていたりするものがあればテープを貼りなおす必要がある。

もし積み上げられたパレットの下方の段で封印テープがない箱が見つかれば、一度シュリンクを解いて、上にある箱を降ろし、封印テープを貼りなおして、また上にあった箱を積み戻し、シュリンクをかけ直す…という手間のかかる作業になる。

パレットに積む際の箱の向きも決まっていて、インクジェットの表記がすべて前面に出ていなければならない。反対向きになっている箱があれば、同様にパレットの段を崩して正しい向きに直す。
インクジェットの印字がかすれていたり、必要な表記が不足していれば、それも修正する。

そんな細かい仕様のチェックや修正を几帳面に1箱1箱、毎日数千箱こなす、しかも思考能力が低下するほど寒いクーラーの中で、かつ、出荷時刻が迫る短い時間の中で…なんていうのは、確かにアメリカ人やメキシコ人向きの仕事ではないだろう。

現に数年前、西海岸カーゴ社(仮名)が出荷準備に関与する前は、こういった外装の不良率やクレームの数はかなりのものだったらしい。

0℃のクーラーで、出荷前のカートン箱を1箱ずつチェック

次々出てくる不備と戦う

カートン箱は、チェリーの箱詰め工程のラインから出てきたところで、パレッタイズと呼ばれるセクションのワーカーが種別ごとにパレットに積み、崩れないようにシュリンクを巻いて、クーラーで冷却する。

パレッタイズでは、パレットごとに、ブランド、品種、サイズ、ロット番号、向け地(国名)などを分け、1つのパレットには同仕様の商品だけを載せることになっている。けれど、どんどんラインから流れてくるカートン箱をワーカーが手作業で仕分けして積んでいるため、1つのパレットに異なるサイズや向け地のものが混ざっていることもしばしばあった。

箱のサイズにもよるが、1パレットには10〜14段重ねで100箱前後のカートン箱が積まれる。
正確に数えたことはないけれど、1つのパレットから、平均5〜6箱は何かしらの不備が見つかって、修正が必要だった。

当たり前のように、必要な封印テープが貼っていない、表記の印字がかすれている、違う商品が混じっているというミスがどんどん出てくる。
積んである箱を大きく崩さなくても修正できるものもあったけれど、シュリンクを解いてパレットを崩し、箱の上げ下ろし作業の手間がかかるものも5パレットに1つくらいはあった。

毎日毎日、そんな不備やミスをひたすらチェックしては修正する。凍てつくクーラーの中で、チェリーの箱を何度も何度も上げ下げする。修正チェックが終わったかと思ったら、今度はオーダーの内訳変更が入って、また箱を上げ下げする。
時には広い倉庫を走り回って、差し替える商品を探したり、数百箱単位の箱の詰め替え作業をすることもあった。

時間と体力のムダ使い

この出荷準備の作業は、チェリーのパレットがどんどん出来上がり、その日の出荷量に合わせてオーダー内容が決まり始める夕方から、空港行きのトラックへ荷積みする夜中まで、数時間にかけて続いた。
当然、真夜中過ぎ、1日の仕事が終わるころには、身も心もくたくたに疲れ果てている。

西海岸カーゴ社のスタッフにとって、これが彼らの“仕事”だった。過酷な環境下で、次々と出てくる不備やミスを“頑張って”“一生懸命”、一つひとつ修正するのが彼らの“仕事”だと思っていた。過酷すぎて、毎年チェリーのシーズンが近づくと憂鬱になるという。

そんなスタッフの姿を見て、その“頑張り”に、ある意味感心した。 そこまで憂鬱になるのにも関わらず、毎年毎年同じことを繰り返して、早8年が経とうとしている。

「なんでこんなことをやり続けていられるんだろう」

“頑張って”やっていたスタッフには申し訳ないが、私には単なる“体力と時間のムダ使い”にしか見えなかった。

その、ひたすら日々の業務をこなしていく姿は、決して“仕事熱心”や“精励”の類ではなく、むしろただの怠慢か、“ドM”のやることに見えた。

冗談じゃない。私にはこんな“仕事”はできない。

夜中過ぎ、空港行きのトラックを見送って一日の業務が終了

 

第4話 「メキシコ人だからムリ!」と言う日本人スタッフがムリ

2015年07月07日

凍てつくクーラーの中で、出荷時間に追い立てられながら、次から次に出てくる不良やミスを見つけ出しては修正し、何度もチェリーのカートン箱を上げ下ろしして、オーダー通りに出荷準備をする。

毎日、夜中まで、過酷な環境や労働に耐え、体力と気力の限界と戦い、ひたすら“頑張って”仕事をする。
スピードと正確さ、そして忍耐が求められる、それがチェリー工場での日本人スタッフの仕事だった。

約0℃のクーラーの中で夜中まで仕事をする

“頑張る”って?

西海岸カーゴ社(仮名)の日本人スタッフに限らず、多くの日本人は“頑張る”のが大好きだ。
「いやいや、最近の若者は忍耐がない、頑張りが足りない」と言う人もいるだろうが、世界レベルで見たら日本人は総じて頑張り屋さんだし、“頑張る”ことを評価する傾向にある。

ただ、私に言わせれば、頑張らなくとも、オーダー通りにミスなく出荷準備が整えばそれでいい。むしろ、頑張らないで作業が終われば、それに越したことはない。
頑張っていても、ミスの連発でクレーム処理コストがかさんだり、信用をなくしてしまっては意味がない。

私がよく、「頑張らなくていい」と言うと、誤解する人がいる。
しかし、“熱心にやる”、“集中してやる”、“何かを達成するために力や時間をかける”と、“頑張る”は決して同じことではない。

“頑張る”を辞書でひくと、“困難にめげないで我慢してやり抜く”とある。
私は“困難にめげずにやり抜く”ことには意味があると思うが、“我慢してやり抜く”ことにはそれほど魅力を感じない。

そもそも、自分が好きで、やりたくてやっていることなら、それをこなすためにどれだけ労力や時間がかかっても、障害にぶち当たっても、“我慢して”とは感じない。

“我慢して”がつくと、どこか、それをやり遂げることができなかった時の言い訳や責任転嫁にもとれる響きがある。
別に自分はやりたくてやっているわけじゃない、本当はやりたくないのに、無理矢理やらされているんだ、だからできなくても仕方がない…と。

けれど、それは単なる言い訳でしかない。
残念ながら自分の行動は、すべて自分の責任。
やりたくないことをやっているのも、他の道を選ばなかったのも、結局はすべて自分で決めたことで、自分に責任がある。

だから“自分で責任のとれないこと”、つまり“我慢してやること”はやるな、裏を返せば、やるからには、自分が納得できることを、自分で責任をとる覚悟でやりましょうね、ということだ。

最近よく聞く“当事者意識”というのも、この辺の考え方にあると思う。
ひたすら頑張っているだけでは、“当事者意識”は生まれない。

あいつらメキシコ人だから

西海岸カーゴ社の日本人スタッフのひたすらな“頑張り”を見ていて、

「なんでこんな効率の悪いムダな作業を続けているんだろう…」

と思った私は、その疑問をそのまま西海岸カーゴ社の社長や日本人スタッフにぶつけてみた。

「ねぇ、これってさぁ、そもそも封印テープがきちんと貼ってないやつとか、印字がダメなやつとか、そういう不良があるものはパレットには積まないでってパレッタイズの人に言えばいいんじゃないの?」

工場には大きな生産ラインが3本あり、ラインごとに違う品種のチェリーが流れている。ライン上でサイズやブランド別に分けられるので、1つのラインからサイズやブランドの異なるカートン箱が出てくる。それを手作業で、ブランド、サイズ、向け地ごとに分けてどんどんパレットに積むのがパレッタイズ。クーラー(冷蔵倉庫)に商品が入る1つ手前の工程だ。
体力仕事なので、大柄のメキシコ人男性が20人ほど作業をしていた。

流れてくるカートン箱を誰彼構わずパレットに積むから、あとから不良のあるものを修正するのにパレットの山を崩して、また山を戻して…なんていう膨大な手間が発生するのだ。
だったら、封印テープや印字など、外装がきちんとしたものだけを積んでもらえばいい。ついでに、サイズや向け地が異なる商品を間違って混ぜて積んでしまっていないか、箱の向きは合っているかも、パレッタイズのセクションでもう少し注意深く見ていてもらえれば、今発生しているクーラーでの膨大な積み替えや修正作業はかなり減るはずだ。そんなことは誰でも頭に浮かぶだろう。

パレッタイズの現場 ブランドやサイズごとに分けて積む

 

ところが、パレッタイズの人にもっと注意して作業をしてもらえば?という私の提案はあっけなく却下された。

「ムリ、ムリ。」

「え?なんで?」私が聞き返すと、

「あいつらメキシコ人だもん」そう返された。

誤解のないように言っておくが、「どうせメキシコ人だから、どうせ単純作業の労働者だから」という先入観を持っていたのは、西海岸カーゴ社の日本人スタッフだけではない。
いいか悪いかは別として、アメリカ社会では、ヒスパニックの人間に対して「どうせあいつらはヒスパニックだから」という意識があるのは確かだ。

このチェリーの工場では、経営陣やマネージャークラスはアメリカ人だったが、ラインのワーカーのほとんどがメキシコ人を中心とするヒスパニック系あるいは低学歴のアメリカ人で、上層部のアメリカ人たちも日本人スタッフと同じような偏見をラインワーカーに対して持っていた。

ラテン系というと、陽気で大らかだけれど、時間にルーズで、怠け者というのは、当のラテン系の人々も認める世界共通のイメージだろう。

けれど、メキシコに5年住み、メキシコのいいところも悪いところも、様々な面を見てきて、優秀なメキシコ人の友達が何人もいる私にとって、“メキシコ人だからムリ”という回答は受け入れられるものではなかったし、まるで説得力がなかった。

「あいつらメキシコ人だから、ムリ」と言われて、

「じゃあ、仕方ないですね」と引き下がれるわけがない。

「じゃあ、通訳以上のこと、やらせてもらってもいいですか?」

既に、当初の“ニコっと笑って、プリーズ”と言っていればいいだけの通訳の域は超えている。夜中までクーラーで肉体労働をする“通訳”なら、いっそもっと踏み込んでしまった方がやりやすい。
私は西海岸カーゴ社の社長に掛け合った。

第5話 荒々しい男たちの現場に乗り込む

2015年07月21日

“通訳”以上の行動にでる許可はもらったものの、いきなりパレッタズのワーカーたちに「もっと注意して作業してね」と言ったところで、状況が改善するほど甘くはない。

「どうせメキシコ人だから、どうせ単純作業の労働者だから」という先入観を持っていたのは、西海岸カーゴ社(仮名)の日本人スタッフや、チェリー工場の経営陣やマネージャークラスのアメリカ人だけではなかった。
実は、当のメキシコ人ワーカーたちも、「どうせオレたちは、単純作業の労働者だから」という意識を強く持っていた。

西海岸カーゴ社の日本人スタッフが、自分たちの仕事は、“過酷な環境下で、次々と出てくる不備やミスを、ひたすら修正すること”だと思っていたのと同様、パレッタイズのワーカーたちも“箱をパレットに積む”のが自分たちの仕事だと考えていた。

荒々しい男たちの現場のオペレーションは問題だらけ

パレッタイズのセクションは、大柄でちょっとコワモテのメキシコ人やアメリカ人の男性ばかりが20名ほど働いていた。
セクションのチーフは、40代のメキシコ人で、年間を通してこの工場に務めていたが、パレッタイズのワーカーのほとんどは季節労働者。半数は毎年顔を出すメンバーだったが、残り半数は毎年入れ替わる“新人”だった。

15メートルほどある3つの大きなベルトコンベアに沿って、パレットが並び、1〜2人のワーカーで1つのパレットを担当する。
チェリーのカートン箱には、品種やサイズ、向け地などによって、異なる品番がつけられている。
1つのパレットには同じ品番の商品だけを積むので、ワーカーは自分が担当する品番を決め、その品番の箱だけをベルトコンベアから拾い上げてパレットに積んでいく。

大柄のメキシコ人男性がカートン箱を積み上げていく

 

3つのベルトコンベアには、工場の3本の生産ラインからそれぞれカートン箱が流れてくる。ラインごとにチェリーの品種は分けているが、ブランドやサイズ、向け地は、それぞれの生産工程の途中で分かれるものの、最終的にはラインごとに1つのベルトコンベアに集約される。だから、1つのベルトコンベア上には様々な品番の箱が同時に流れてきた。

ブランドによって箱のデザインが違うから、ブランドは見ればすぐわかるが、サイズや向け地は、箱の側面の印字表示を見なければわからない。同じブランドでもサイズや向け地が異なれば品番も異なるから、きちんと分けて別々のパレットに積まなければならない。

よく見ていれば間違えることはないが、ベルトコンベアはかなりのスピードで動いているし、似たような品番のものも多かったから、混在のミスが出る。
流れてくるカートン箱の量は一定ではなく、一度に大量の箱がどっと流れてくることもあれば、何の予告もなく、いきなり新しい品番の商品が流れてきたりすることもあった。つまり、新しいパレットを置くスペースが必要になる。

パレッタイズには、カートン箱を積む係とは別に、パレットを動かす係がいて、パレットが一定量の箱でいっぱいになると、手動のフォークリフトでベルトコンベア脇から運び出し、空いたスペースに新しいパレットを置く。

パレットがいっぱいになりそうになると、箱を積んでいるワーカーは大声で

「パレーーーーーーーッ!!」

と叫んで、パレット係に知らせる。
パパパパパパ〜とフォークリフトのクラクションを鳴らしながらパレットが運び出され、パァーーーーーン!と新しいパレットが乱暴に床に置かれる乾いた音が響く。

新しい品番が流れてきた時も同様に、チーフの

「パレーーーーーーーッ!!」

の声がかかり、パレット係がパレットをパァーーーーーン!と用意する。

次々にカートン箱が流れてきて、パレットの上にどんどん積まれ、山積みになったパレットがどんどん運び出される。

パレットの山が次々にできあがり、運び出されていく

 

最初の“課題”は仲間だと思ってもらうこと

パレットに積まれた商品は最終製品といってもいい。
つまり、パレッタイズは商品の最終チェックもするべき工程だ。
単にカートン箱をどんどん積み重ねていけばいいのではなく、外装にダメージがないかどうかはもちろん、封印テープの有無、貼ってある封印テープの種類は正しいか、インクジェットの印字のコンディションはどうかなどを見ながら積んでいくのが本来の業務だろう。

しかし、ワーカーたちは、自分たちの仕事は“箱をパレットに積むこと”だと思っているのだから、封印テープや印字に不良のあるものも関係なく、そのままパレットに積み上げる。
さすがに大きく破損しているものや、全く印字のないものなどは取り除くが、特に気をつけてテープや印字のコンディションをチェックしているわけではなかった。
どんどんチェリーの箱は流れてくる。それをとにかくどんどん積んでいけばいいのだ。

もし、封印テープやインクジェットのコンディションが悪いものがあったとしても、それは前工程のテーピングやインクジェットのセクションのワーカーのミスであって、自分たちの責任ではない。
しかも、自分たちの後工程にはどっちみち最終確認をして不良の修正をする日本人スタッフがいるのだから、自分たちはそんなことをチェックする必要もない。
そう考えているワーカーばかりだった。セクションのチーフさえ、そう考えていた。

日本人たちの時給は、自分たちの時給よりずっと高いのだ、それくらいやって当然だろう、くらいに考えている雰囲気さえあった。
実際にいくらもらっていたのか、どれくらいの差があったのかはともかく、当たり前のように“日本人=高賃金、ヒスパニック=低賃金”という認識がみんなの中にあったし、私もラインに入ってすぐ、時給(あるいは日当)はいくらなのかを何人かのワーカーから聞かれた。他のセクションで作業をしていた時はそれほど賃金について聞かれたことはなかったから、パレッタイズのワーカーが、次工程の日本人スタッフの賃金を特に気にしていたのは確かだ。

日本人チームは、メキシコ人ワーカーから“エラそうなヤツらだ”という印象を少なからずもたれている。
私のことも当然、おネェちゃんが一体何しに来たんだ?と思われている。
そんな“おネェちゃん”が何か言ったところで、聞く耳を持ってもらえるわけがない。

クーラー(冷蔵倉庫)での出荷準備の業務でさえ、女性は私ひとりで、あとは男性ばかりだったけれど、パレッタイズは、さらに荒々しい雰囲気の肉体労働。まさに“男の現場”だった。
1人だけ、積まれたパレットに出荷ラベルを貼る係の女性のワーカーがいたけれど、彼女が肉体労働をすることはなかった。
そんな現場に、私は女ひとりで乗り込むことにした。

文句を言ったり、指摘をしに来た敵ではなく、いい仕事を一緒に楽しくできるように、力になりたくて来ている仲間だと理解してもらわなければ、何も始まらない。
彼らの警戒心や猜疑心を解くのが最初の課題だ。