2013年06月15日(土) 奥村 隆 

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第31回】
「上司に嫌われているから、自分の企画が通らない」と考える人々

職場の同僚たちに大きな不快感を与えた

最近、言動が気になって仕方がない1人の男がいる。 

それは2ヵ月近く前、僕の職場に新たに着任してきたS君という20代後半のディレクターだ。体格は中肉中背で、普段は誰とでもよく喋る印象がある。 

S君は、首都圏の有名私立大学を卒業してから、ずっとフリーランスのディレクターとして、いくつかのニュース番組を制作してきた。そして今年の春、僕が働くテレビ局に入ってきたのである。 

S君はいつも、さかんに貧乏ゆすりをしながらあちこちに電話を入れ、要領よく仕事を進めているように見えた。おそらく同僚たちは最初のうち、S君に対し、他のディレクターととりたてて変わりがないという印象を持っていただろう。 

しかし僕は、あるときから、S君のことが気になって仕方がなくなった。それは、彼の言動が、ASD(自閉症スペクトラム障害)を抱える息子の言動、そして、僕の言動(特に昔の僕の言動)によく似ていることを発見してしまったからだ。 

その傾向は、中でも、職場で「自分の思い通りにならない状況」に陥ったときに顕著だった。S君は、事態が自分の想定と異なったものになると、必ず顔色を変え、汗をかき、身体が動かなくなり、要はパニックに陥ったような反応を示すのだった。まさに息子や僕とそっくりで、そういう場合の彼の言動を目の当たりにするたびに、僕は内心、「このSという男は、俺たち親子と同じタイプの人間に違いない」という確信を深めていった。 

もちろん、S君がASDを抱えているというのは、本人から直接聞いたわけではないので断定はできない。しかし僕にとって、今まで「この人は発達障害に違いない」と推測して、それが間違っていたことは、少なくとも自ら把握している限り、一度もなかった。 

職場では、周囲の同僚たちはともかく、僕自身はS君の言動に戸惑うことはあっても、不快になったことはほとんどない。それは、僕自身がASDを抱えていることや、日々、息子のASD特有の言動を目の当たりにしていることと無関係ではないと思う。 

ただ、S君が職場の同僚たち(正確に言えば、同僚のうち、発達障害を抱えていない人たち)に大きな不快感を与えた様子を目の当たりにしたとき、僕は、ASDを持つ人間が社会人として組織で生きていくことの難しさを改めて強烈に思い知らされた。同時に、息子の将来に改めて不安を募らせ、暗然とした気持ちにならざるを得なかった。 

わずか5分の企画のため、異様に分厚い資料を作る

前にも記したが、僕が働くテレビ番組の制作現場には、僕と似たタイプ、つまり発達障害の人間独特の言動をする者が明らかに多い( 第20回参照)。分単位どころか秒単位で時間にこだわる同僚、事前に細かく計画立案しておくことに異常に厳しい先輩、自分が制作に携わったニュース番組の映像の全カットを覚えている上司・・・。

中には、いっさい場の空気が読めず、相手の気持ちにも配慮せず、会社の"偉いさん"に向かって、「『コンプライアンスが重要だ』とおっしゃいますが、以前、僕の上司だったときは『グレーな部分に踏み込んで仕事をする度胸を持て』とおっしゃっていたじゃないですか」と正論で詰め寄ってしまう者もいる。 

彼らは総じて、他人とのコミュニケーション能力が低い。だから、発達障害に由来する特徴を持たない"普通の人"に対して、思いもかけないときに、思いもかけないひどいことを言って、軋轢を起こしてしまいがちだ。 

そうなれば、当然、言われた側は怒る。一方、傷つけてしまった「空気を読めない側」は多くの場合、相手が何に怒っているのか理解できず、戸惑うばかりになる。 

この点についてのみ、ASD的な傾向を持つ職場の同僚たちと、僕の息子は違っていた。息子が家の中でときどき見せる感情の爆発や、大声でわめき散らす行動は、少なくとも、職場で見たことがなかった。発達障害を持っていると思われる同僚たちは、激情をあらわにしない代わり、ただ周囲との違和感や居心地の悪さに悩んでいるように見えた。 

しかしS君は、その点で、似た傾向を持つ他の同僚たちと決定的に異なっていた。そのことが明らかになった大きな"事件"が、彼の入社から1ヵ月ほど経ったときに起こった。 

その日の午後2時過ぎ、会社の最上階の会議室に、記者、ディレクター、アナウンサーなどスタッフ全員が集められ、ニュース番組の企画会議が開かれていた。求められていたのは、「企画もの」と呼ばれる5分程度のコーナーのプランである。 

僕も、新米ディレクターのS君も出席して、考えた企画を上司の前でプレゼンすることになっていた。会議室にはコの字型に机が並べられ、出席者はその周りに座って順番にプレゼンをしていった。 

会議が始まって30分ほどが経過し、S君が説明する番になった。彼はものすごい勢いで立ち上がると、緊張のせいか興奮のせいか、ぴょんぴょんと跳ぶように小走りして、自分で作成した分厚い資料を全員に配っていった。「Sの奴、もっと落ち着けばいいのにな」と僕はひそかに思った。 

配付された資料を見ると、パワーポイントで作られ、カラー印刷されて、非常に見やすくデザインされていた。ただし、分量の多さが異様だった。たかだか5分くらいの企画ものの資料なのに、A4の用紙で20ページ程度もあったのだ。 

S君の様子は、最初こそ緊張気味だったが、プレゼンが始まると次第に堂々としたものになった。「これは絶対に面白いです!」と全身で訴えるような雰囲気を醸し出しながら、早口で企画の説明をしていく。ここまでは、テレビの制作現場でよく目にする光景だった。 

質問の集中砲火を浴びて、炎上してしまった

ふと、彼が作成した資料をめくってみて、僕は少し当惑してしまった。もちろん、企画の概要はわかるのだが、どのようにして何を伝えたいのか、なぜこの企画を番組にするのか、さっぱり伝わってこなかったからだ。 

S君の話を聞いても、その印象は変わらなかった。なぜなら彼のプレゼンは、基本的に資料を読んでいくものだったからだ。これで大丈夫なのかな、と僕は案じた。 

その危惧は的中した。プレゼンが終わるや否や、上司や同僚たちから次々と厳しい質問が飛んだからだ。 

資料を見ても君の話を聞いても、はっきりしないんだよ」 何を伝えたいんだ?  「こんなに分厚い資料を作ったのはいいけど、この企画の意図は何なんだ?

全然わからない」  「こんなに分厚い資料を作ったのはいいけど、結局、君はいったい誰と誰を取材するつもりなんだ?

たった5分の企画ものだぞ」 取材先だというのなら、この全部を取材するのに何日かかるのか、何日で編集するつもりか、考えてるのか? それとも参考として書いただけなのか?  「資料にはいろいろな人名や組織名が出てくるが、これは取材先のつもりか?

その説明がほしいんだよ」  「そもそも、どうして今、この内容を番組で取り上げなきゃいけないんだ?

 「資料にはいろいろな情報が書かれているけれども、信憑性がどれだけあるかよくわからない。情報の根拠は何なんだ?」

こんな集中砲火を浴びたS君だったが、それでも顔に汗を浮かべながら必死に質問に答え、何とか皆を納得させようと頑張っていた。しかし、それは無理な相談だった。 

一連の質問から容易に推察できると思うが、S君の企画は、一言で言えば、中身がスカスカだったからだ。資料は分厚くカラフルで立派なのだが、書かれているのは、根拠のよくわからない本人の思い込みと、インターネットのさまざまなページをコピペしたような情報ばかりだった(コピペした証拠に、各情報ごとに説明の文体が異なっていた)。情報の裏取り(事実関係の確認)をした形跡はゼロだった。 

前述したように、企画の狙いもよくわからないし、今なぜこれを番組にするのかの理由も明確ではない。率直に言って、とてもテレビ番組の企画とは呼べない代物だった。いくら5分程度の短いものとはいえ、採用されるはずがなかった。 

 「何年かフリーのディレクターの経験がある男だけど、企画力はまだ新人に毛が生えたようなレベルだな。一から鍛えなきゃいけないかもしれない」

そんなことをぼんやり思いながら、S君と他の出席者たちのやりとりを聞いているうちに、僕は次第に苛立ちを感じ始めた。厳しい質問の嵐に遭って炎上し、暗黙のうちにしっかりダメ出しをされているのに、S君はそれに気づかず、いつまでも理屈をこねくり回して提案を引っ込めなかったからだ。 

そのため、他の出席者からの質問は、質問というより突っ込みと呼ぶ方がふさわしいものになっていった。「君は本当にこんなものが面白いと思っているの?」という具合に辛辣になったり、「伝えたいことが簡潔な言葉で言えなければ、企画として失格なんだよ!」という風に詰問調になったりしていったのだ。

「なぜ僕の企画がボツなんですか?」と叫ぶ

誰か早く終わらせろ」という冷ややかな空気が流れていた。それは、まさに空気を読むのが苦手なASDの僕にもわかるくらい、険悪きわまりないものだった。 会議室には、明らかに「どうしてSという奴はこんなつまらない企画を出して、通る目もないのにいつまでもぐずぐず粘ってるんだ? 

ちなみに、後でS君から聞いたところによると、彼が提案した企画は、毎日、通常業務の後に夜通し考え抜いて生み出した自信作だったという。これほど出席者からの反応が悪いことも、これほど多くの厳しい質問を投げかけられることも、まったく予想もしなかったそうだ。 

ふと、肥満体でもない彼が首筋や頬を流れる汗をハンカチでしきりに拭っているのを見て、僕はハッとした。想定外の事態(この場合は、企画の提案が厳しい質問や批判にさらされること)に直面すると、全身が汗だくになってしまう---。これは、まさに僕の特徴そのものではないか。白けきった場の空気がまったく読めないところも合わせて、「前から予想していた通り、SはやっぱりASDを抱えているんだろうな」と改めて僕は思った。 

こうして、出席者たちとS君の無意味な質疑応答がしばらく続いた後、企画の採否を決める責任者である編集長が、しびれを切らしたように渋い表情で言った。 

 「S、いろいろ熱心に説明してもらったが、君の提案は採用できない。次の会議のときに、また頑張って別の企画を出してくれ」

つまり、ボツってことですか?」 採案されないんですか?  「えっ!

S君は口をあんぐり開け、心底驚いたような様子で反問した。編集長はうんざりした口調で答えた。 

 「そう、ボツだ。理由はわかるよな?」

その瞬間だった。S君は表情をひどく歪ませて、大声で叫んだ。 

僕は一生懸命考えて、一生懸命作ったんですよ」 僕の企画のどこがいけないんですか? 説明されてないのに、理由がわかるはずないじゃないですか!  「わかりません!

会議室は凍りついた。気まずさに耐えかねたベテランの記者が「まあまあ、ちょっと待て・・・」と制止しようとしたが、S君の叫びは止まらなかった。 

しかも、いつの間にか目から大粒の涙を流している。それが頬をつたう汗と混じり合って、S君の顔はべとべとのものすごい状態になっていた。はっきり言って、直視したい光景ではない。編集長も、ギョッとしたようにS君の様子を見つめている。 

 「この企画、僕は1週間ろくに寝ないで考えて、情報を集めて、書いたんです。これがボツなら、どんな企画が通るというんですか」

ようやく我に返った編集長が、さすがに怒気を含んだ声で答えた。

お前が努力してもしなくても、企画が面白けりゃ、すぐに採用になるんだよ。それだけだ。努力は関係ない。  「何を勘違いしてるんだ?

何日徹夜して考えた企画でも、つまらなければボツになる。逆に、一瞬の思いつきでササッと書いた企画でも、面白ければ通る。当然だろうが」 

通してください」 そうでしょ?  「じゃあ、僕の企画を採案するのが当たり前じゃないですか。だって面白いんだから!

S君は恥も外聞もなく、ヒックヒックとずっと泣きながら訴えている。その異様な迫力に押され気味になりながらも、編集長ははっきり宣告した。 

 「いや、お前の企画は面白くない。面白いと思っているのはお前だけだ。さっき、あれだけみんなの反応を聞いてもわからないのか?

独善的で一方的な見方に基づいた企画で番組を作っても、テレビというマスメディアでは通用しない。視聴者に相手にされない。それじゃ、意味がないんだよ」 

編集長がぴしゃりと言い終えると、S君は数秒間、うつむいて床の一点を見つめたまま沈黙した。皆が固唾を呑んで見守る中、彼が再び口を開いて言い放った一言に、全員が驚いた。僕も、他の出席者とは違う意味でびっくりした。 

S君は顔を上げると、いきなり「わかりました。編集長、あなたは僕が嫌いなんですね」と言い放ち、また嗚咽しながら会議室を飛び出していったのだ。全員、あっけにとられて見送ったのは言うまでもない。 

そして僕は、まったく別の理由で腰を抜かすほど驚愕していた。それはS君の「ある人が自分の想定していたのと違う行動をとるのは、その人が自分を嫌っているからだ」という発想が、息子と、そして僕(とりわけ昔の僕)とそっくりだったからである。 

嫌われているから、企画がすべて採用されない?

しかし、話はまだ一件落着とはならなかった。この後の経緯もまた、息子や僕がこれまで起こした"事件"とよく似た展開を見せたのである。 

会議の翌日の昼前、記者の原稿を直していた編集長に、外から一本の電話がかかってきた。受話器の向こうの男性は、「突然お騒がせしまして申し訳ありません。御社でお世話になっているSの父でございます」と名乗った。 

ちなみにこの日、S君は体調不良を理由に会社を休んでいた。僕たち同僚は「Sも昨日、あんな風に"やっちゃった"から、出て来にくいんだろうな」などと噂していた。しかし案外、職場には、彼に対して悪感情を持っている人があまりいないようなので、やや拍子抜けした。 

どうやら皆、「Sというのは、これはと思うと周りが見えなくなって、良くも悪くも一直線に、猪のように突き進んでしまうタイプなんだろう」くらいに受け止めているようだった。編集長も、 

 「まぁ、Sが出てきたら、とりあえず俺からきちんと注意はするけれども、今回はあまり厳しく叱らないようにしよう。初めての会議で緊張もしていたはずだし、あいつなりに熱意も見せたんだろうからな」

と漏らしていた。僕は、編集長の意外な寛大さにちょっと感心した。 

ところが、そこへ、S君本人が現れるどころか、お父さんから電話が入ったのである。お父さんは、思いがけない電話に驚いている編集長にこう言ったそうだ。

 「昨晩、帰宅した息子から聞いたのですが、編集長さんから個人的に嫌われていて、そのせいで、どれだけ良い企画を出しても理不尽にボツにされてしまうというのです。その件でお尋ねしたいことがありまして」

これは 前回記した、小学生時代の僕がスイミングスクールの進級テストに受からなかったときのケースと同じ流れである。昔の僕は、父に「コーチに嫌われたからテストに落とされた」と虚偽の訴えをし、怒った父がクラブに抗議に行くという騒動になったのだった。

当たり前だが、編集長は一瞬、何を言われているのかわからず、きょとんとしてしまったという。しかし、事態がどうなっているのかをすぐに悟り、気を取り直して答えた。 

 「絶対にそんなことはありません。私が個人的に息子さんを嫌っているなんてこともありませんし、それが原因で彼の提案を落とすこともあり得ません。

採否はすべて、企画のクオリティで決まるんです。この不況の時代、どのテレビ局も、少しでも良い企画を番組にして、多くの人に見て頂きたいと切に願っています。だから我々は、鵜の目鷹の目で良い企画を探しています。提案者の好き嫌いを言っているような余裕はないんです。 

また、お話を伺うと、私は何度もS君の企画をボツにしているように聞こえますが、それも何かの間違いです。彼はこの前入社したばかりで、昨日が初めての企画会議だったのです。だから、彼の企画のプレゼンを受けたのも、採用しないと決めたのも、昨日が最初でした」 

発想が被害妄想的になるという欠点

編集長はこんな風に丁寧に説明しながらも、息子への愛情で判断力のバランスを失ったと思しき父親がどこまで信用してくれるか、まったく自信がなかった。それだけに、S君のお父さんがすべてを悟ったような口調で「やっぱり、そういうことだったんですね」と応じたときは、意表を衝かれて愕然としたという。 

 「編集長さん、息子がご迷惑をおかけしまして申し訳ありません。たぶんそういうことかなとは思っていたのですが、私も父親として、まず事態を正確に把握したいと考えたんです。なので、失礼を顧みず、編集長さんにあんなお尋ねをしてしまいました。

弁解ではありませんが、息子は非常に仕事熱心で、テレビ番組制作というものを本当に愛しているようです。私は門外漢ですから詳しいことはわかりませんが、これまでも『こんなユニークな番組の企画を思いついたんだ』とか『俺が作った番組が今度放送されるから見てよ。絶対に面白いよ』なんて無邪気に話してくれて、その熱意はよく伝わってきました。 

それだけに、仕事で自信を持ってやったことが不採用になったり、中断させられたりすると、その決定権を持った人が自分を嫌っているせいだと思い込んでしまう傾向があるんです。はっきり言って、息子の大きな欠点だと思います。 

編集長さん、これだけは信じて頂きたいのですが、あいつに悪気は一切ないんです。ただ、仕事に入れ込みすぎるせいか、ときに発想が被害妄想的になってしまうんです。 

正直に告白します。実は息子は、前に制作に携わっていた番組も、さらにその前の番組も、同じように『プロデューサーが俺を嫌っていて、俺の仕事を潰そうとする』などと言い出して、居づらくなって辞めてしまったんです。そんなことが何度かありました」 

「そうだったんですか・・・」

思わぬ話に、編集長は絶句するしかなかった。お父さんは2ヵ月前、僕たちの会社に入ることに決まった息子に向かってこう諭したという。 

 「いいか。組織の中にいれば、自分の思い通りに行かないことなんてたくさんあるんだから、そうなっても、絶対に人の悪意のせいなんかにしちゃいけないぞ。仮にお前を嫌っている人間がいたとしても、その人が、お前のやろうとすることすべてを妨害できるわけではないんだよ。

逆に、思い通りにならないことがあっても、そのときだけ辛抱して地道に働いていれば、応援してくれる人は必ず増えていく。そういう人たちに助けられることも多いんだ。それが、他人と一緒に組織で働くということだよ」 

S君はそのとき、「わかった」と短く答えたという。それでお父さんも「いろいろ苦い経験を重ねて、やっと理解してくれたのか」と一安心したが、要するに昨日、また前と同じ失敗を繰り返してしまったというわけだ。 

Sが能力を発揮できるよう、俺が変身させてやる

編集長はお父さんとの電話を終えた後、以上のようないきさつがあったことを僕たち部下に説明してから、こう続けた。 

 「Sの奴、昨日の朝、お父さんに『良い企画を思いついたから、頑張ってプレゼンして通してくるよ』と言って、張り切って出社したというんだ。このところ、本当に企画のことしか考えていなかったらしい。ある意味で、それは仕事へ熱中しているということだけどな・・・。

お父さんからは『本当にすみません。息子には、変な勘繰りをしないでとにかく死に物狂いで働けとよく言っておきますので、どうかお許しください』と何度も平謝りされてしまったよ。今となっては別に大したことじゃないし、お父さんの気持ちを考えると切なくて、何だかこっちが悪いことをしたみたいな気分になっちゃってな」 

 「思いっ切り不器用な奴なのなのもしれませんね」

誰かがそう言うのを聞いて、編集長は黙ったままウンウンと頷いた。 

考えてみると、S君と昔の僕を比べると、同じところと違うところがある。同じなのは、物事が思い通りに進まないと、人が自分を嫌っているからだと考えてしまう点。そして、嘘や妄想をそうとは自覚せず、肉親にそれを訴えてしまう点。 

違うのは、僕の被害妄想的な発想は中学時代から後はやや弱まったが、S君のそれは成人後も強く残っていた点。そして、僕の父は息子の「嫌われている」という妄言に簡単に騙されたけれども、S君のお父さんはそれが事実ではないと正確に見抜いていた点だ。 

そう検証していくと、どうしても、僕は自分の息子のことを考えずにいられなくなる。今、「学校で先生が僕を嫌っている」としきりと訴える息子。はたして彼は、いつまで「嫌われている」と言い続けるのか。S君のように、社会人になってもそれは変わらないのか。そして、成人した息子にそう聞かされたとき、僕は冷静に事態を把握できるだろうか・・・。 

思いを巡らせるうち、僕はS君のお父さんの立派さに、改めて頭を下げたくなった。発達障害とかASDといった単語は知らないかもしれないが、きっと自分の息子の一風変わった特徴に、間違いなく気づいていることだろう。 

お父さん、そして共に息子を育ててきたお母さんは、息子の特性を意識し、それに悩みつつ、いったいどれだけの苦労をしてきたことか。想像すると、何とも息苦しいような気持ちになってきた。 

「おい、奥村!」

突然、大声で名前を呼ばれて、僕はハッと我に返った。声がした方向を見ると、編集長が手招きしている。僕は「はい」と返事をして、すぐに彼の机の前に行った。 

 「お前にSのことで一つ、頼みがある。あいつの教育係になってくれ。ただでさえ仕事が忙しい中、もう一つ業務を押しつけるみたいで悪いんだが、お前ならできるはずだ」

 「大丈夫です。やります」

僕は即答した。「Sが十分に能力を発揮して働けるよう、俺が変身させ、この会社に適合させてみせる」と瞬時に決心したのだ。そして、「これは、ASDを抱える自分の義務でもあるし、ASDの息子を苦労して育てている俺にしかできないミッションだ」とも---。 

しかし、やがて、Sの教育は容易な任務ではないということが次第にわかってきた。彼のさらなるアクションが、僕を大きな混乱の渦に巻き込んだのである。 

〈次回に続く〉

※この連載は原則として毎週土曜日に掲載されます。

 

 

2013年06月22日(土) 奥村 隆 

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第32回】
「自分は絶対に悪くない」と思い込み、謝ることができない男

泣いて会社を飛び出し、3日連続で欠勤

入社して初めての企画会議で、自分が提案した企画が編集長から却下され、泣き出してしまった後輩ディレクターのS君。彼が「編集長は僕のことが嫌いなんですね」と言い捨てて会議室を飛び出し、そのまま翌日も欠勤してしまったいきさつは、 前回述べた。

S君はお父さんにも「編集長から嫌われているせいで、自分の企画がボツにされた」と嘘の報告をしており、それは、お父さんが編集長にかけてきた説明とお詫びの電話で明らかになった。 

S君の教育係を命じられた僕は、とりあえず「Sが出社してきたら、冷静に話し合い、なぜ企画会議での彼の言動が不適切だったのか、論理的に説明して聞かせよう」と考えていた。編集長も寛大な人で、「俺もSに注意はしておくけれども、別に腹を立てているわけでもないし、細かい指導は奥村に任せるよ」と言ってくれた 

ところが、欠勤した日の翌日も、さらに翌日も、S君は出社してこなかった。3日連続で休んでしまったわけだ。

といっても、さすがに無断欠勤ではない。僕の勤務先では通常、病気や体調不良などで休むときは、午前中、上司が出勤した頃を見計らって電話を入れ、事情を説明して許可をもらうのが一般的だが、S君は違った。3日連続して、朝7時45分ぴったりに、上司の1人であるUプロデューサーの携帯電話に連絡を入れ、「今日は体調が悪いので休みます」と一方的に棒読み口調で告げると、Uさんに聞き返す間も与えず電話を切ってしまったのだという。 

ちょうど3日とも、Uさんは家族と一緒に朝食をとっているところだった。その時間帯に毎日、携帯電話が鳴らされるのだからUさんもいい迷惑だが、3日目になると、奥さんがさすがに不審に思ったようで、こう尋ねてきたという。 

変じゃない?  「あなたの部下のSさんって、どうしてこんなに早く、しかも決まった時刻に電話をかけてくるの?

しかも休みの連絡を、あなたの携帯にわざわざしてくるなんて、どう考えても不自然でしょ。会社を休む連絡だったら、オフィスの電話にすればいいじゃない」 

 「最近入ってきたばかりの奴だから、まだよくわからないんだけど、ちょっと風変わりなところがあるのは事実だな。まあ、几帳面すぎるところもあるんだろう」

Uさんはこう答えながら、ふと、「どうして俺が女房を相手にSの弁護をしなきゃいけないんだろう?」と首をひねり

 「奥村、Sは大丈夫か?毎朝、計ったように同じ時間に俺の携帯にかけてきて、まぁそれはいいんだが、あいつ、このまま延々と休むんじゃないかという気がするんだ。 

電話をかけてくるといっても、Sが一方的に喋ってすぐ切ってしまうから、こっちから奴の健康状態を質問することもできない。そろそろ教育係のお前がコンタクトを取って、現状を把握し、場合によっては話し合った方がいいんじゃないか」 

 「はい。そうします」

まさに僕も、「3日間の連続欠勤というのは、放置していい事態ではない」と考えていたところだった。 

お母さんは困り果てていた

翌朝、僕はアクションを起こした。また休むと4日連続の欠勤となってしまう日の午前7時半。S君がプロデューサーに電話をかける前、僕から彼に電話をかけることにした。 

まず、S君の携帯に電話を入れた。電源を切ってあるらしく、呼び出し音が鳴らない。留守番電話になったので、とりあえず、 

 「奥村です。体調不良のところ、朝から申し訳ない。君の現在の体調について話を聞きたいので、Uプロデューサーではなくて僕に連絡をください」

という伝言を残した。続いてS君の自宅の電話番号にかけてみた。本人と話せれば一番いいが、仮に本人が出てこられなくても、家族からS君の状態を聞いてみたいと思ったのだ。 

電話にはすぐS君のお母さんが出た。僕は名乗った後、朝早くから電話で騒がせる失礼を詫び、S君と話がしたいと頼んだ。お母さんは丁寧な口調で、 

 「息子がご迷惑をおかけしまして申し訳ありません。この前は、あの子の変な思い込みのせいで、主人が編集長さんにお電話までしてしまいました。そんなことがあったのに、編集長さんはとても優しく説明してくださったと聞いております。すみません」

と謝罪を繰り返した。明らかに困り果てている声音であり、聞いている僕も、お母さんが本当に気の毒になってきた。 

 「実は私、職場でS君の教育係を命じられているんです。彼、熱意はあるし、センスも鋭いし、このまましっかりと実力と経験を積み重ねていけば、非常に良いテレビマンになれる可能性があります。

私が彼の教育係を仰せつかったのは、おそらく、僕もどこかS君に似たところがあるからではないかと思います。それに上司が気づいていたのでしょうね」 

 「奥村さんが息子と似ているところをおっしゃいますと・・・」

「簡単に言うと、僕も思い込みが非常に強くて、自分の想定通りに物事が進まないと激しく苛立ってしまったり、周りの人たちの思惑や場の空気を考えずに突き進もうとしたり、といったところがあるんです。そのせいで、特に若い頃は失敗を何度もしました。S君も似たような特徴があるのではないでしょうか」

 「はい。本当によくおわかりで・・・」

 「で、僕の場合は、思い込みが強い分、他人から自分の意図を否定されると、本当に身体の具合がおかしくなってしまう。仮病ではなく、本当に頭痛や腹痛、吐き気、発熱などの症状が出るんです」

という質問は呑み込んで口に出さなかった。しかし、電話の向こうでお母さんが数秒間黙り込んだのは、「YES」と言っているのも同然だった。 S君もそうなんじゃないですか? 

「被害妄想じゃないの?」と言われて激怒

やがてお母さんは口を開き、震える声で息子の現状の説明を始めた。沈黙している間、ひょっとしたら泣いていたのかもしれなかった。お母さんの説明は、だいたい僕が想像していた通りのものだった。 

 「昨日まで3日連続で、『熱がある』と言っていたんです。奥村さんのように、息子は子供の頃から仮病を使ったことは絶対にないので、本当に熱が出ていることは間違いないと思います。

毎日、そう言って午前中は部屋で寝ているんですが、午後になると『熱は下がった』と言い出すんですね。そこで私が『午前中は半休扱いにしてもらって、午後からでも会社に行ったらどうなの』と話しかけると、黙ったまま、また部屋に戻ってしまう。夕ご飯は食べるんですが、話しかけてもろくに返事もしません。 

で、夜はまた部屋に戻って寝てしまう。その繰り返しです。今朝も『また熱が出て体がだるい』と言い出して、自分の部屋で寝ています。 

いったい、いい年をして、いつまでこんなことを続けるつもりなのか・・・。ご心配をおかけしまして、本当に申し訳ありません」 

相槌を打ちながら聞いているうちに、どうしても、僕と同じくASD(自閉症スペクトラム障害)を抱える我が息子のことを思い出さざるを得なかった。息子は学校や学習塾で思い通りに行かないことがあったり、否定的なことを言われたりすると、やはり仮病ではなしに頭痛や腹痛、吐き気などを訴えて寝込んでしまう。その傾向は、残念ながら、最近特に顕著だ。 

しかし、そんな息子を落ち着かせる有効な方法がある。その一つは、主観や思い込みではなく、なるべく事実に基づいて話をすること。もう一つは、物事を論理的に説明し、感情的な叱責や曖昧な判断の押しつけは極力避けることだ。 

息子とそっくりの症状を見せるS君。僕は心の中で、「前から思っていたように、S君がASDを持っているのは間違いないだろうな」と確信しつつ、「息子をうまく落ち着かせたときと同じように接したら、S君は職場に戻ってくるかもしれない」と考えた。そこでまず、事実関係を知っておこうと思い、お母さんに聞いてみた。 

 「お父様から編集長が伺ったところですと、S君は前の職場でも『プロデューサーに嫌われているから、自分の企画が潰された』という思い込みを持ってしまったそうですが、その後、やはり今回のように体調不良になったのですか?」

 「はい。息子は今の会社でお世話になるまでは、基本的にフリーでやってきましたが、いくつかの職場で、あるとき突然『俺は上の人間から嫌われているから、企画が形にならないんだ』などと言い出して、仕事に行かなくなり、結局は契約打ち切り、という羽目になったことがありました。

契約先の会社から打ち切られるのではなく、息子から打ち切りを申し出るんですけど、会社側としては、どうして息子がそんなことを言い出すのか、さっぱりわからないかもしれません。 

で、ご質問については、まさしく奥村さんのおっしゃる通りです。『俺は嫌われている』と言い出してすぐ、熱を出したり頭痛になったりすることが多いんです。 

事実を知らないのに、わかるはずがないじゃないか』と、急に"論理的"に怒鳴り始めました。 だいたい、お母さんはプロデューサーを知らないんだろ? あなたの被害妄想じゃないの?』と聞いたことがありましたが、このとき、息子は本当に激怒しました。『被害妄想なんかじゃねえよ! 一度、うっかり『どうしてプロデューサーの人があなたを嫌って仕事を妨害しなきゃいけないの? 

理屈では息子が正しいので、私もそれ以上何も言えず、話が進まなくなりました。情けない話ですが、主人もどうしたらいいかわからず、頭を抱えている状態です」 

話を聞けば聞くほど、S君は僕の息子と似ているように思えてきた。そして、息子を何度か爆発させてしまった自分の不用意な発言が、急に記憶からよみがえってきた。 

 「先生が僕を嫌っているから、学校(あるいは塾)に行きたくない」と息子が言い出したとき、僕はうっかり「大丈夫だよ。先生は嫌ってなんかいないよ」と言い聞かせたことがある。するとそのたびに、息子は血相を変えてこうわめき始めるのだった。

お父さんじゃないよ。  「学校に行っているのは僕だよ!

学校に行っていないお父さんが、僕が学校で大丈夫かどうか、わかるはずがないよ。先生が僕を嫌っているかどうか、学校に行っていないお父さんがわかるわけがない。おかしいよ。わかるのは僕だけに決まってるじゃないか!」 

論理的には、この息子の意見は全面的に正しい。僕がやらなければならなかったのは、「大丈夫だよ」などと曖昧な言葉をかけることではなく、まず、「なぜ先生に嫌われていると考えているのか」について息子の言い分を存分に聞き、次に「先生の言動は本当に嫌悪感の表れなのか」について、きちんと話し合うことだ。このやり方がうまく行くと、息子の体調は回復し、学校や塾に行く気になることもある。 

「他人に迷惑をかけた」という意識がまったくない

そんなことを思い出しながら、僕はお母さんに「とにかく一度、S君と直接話をさせて頂けませんか。今はどうでしょう?」と切り出した。「S君を出社させられる」という確固たる自信があるわけではなかったが、息子を学校に行かせるのにある程度の効果を上げている方法なので、やらないよりはやってみた方がいいと思ったのだ。 

 「わかりました。出てくるかどうかわかりませんが、ちょっと聞いてきます。お待ちください」

お母さんが去り、電話の向こうに再び沈黙が訪れた。僕はその間、S君が優しいお母さんに向かって、「職場の同僚がみんな俺を嫌っていて、意地悪をするんだ!」と訴えている光景を想像してしまった。 

 「もしもし、Sです」

ぼそぼそと話すS君の声で我に返った。覇気や元気というものがまったく感じられず、職場でふだん聞いている彼の声と比べて、一オクターブくらい低い。いかにも体調が悪そうな口調であり、聞いただけでは、重い病気にかかっていると言われても信じる人がいそうである。 

ただし、僕にとって驚きはなかった。息子も僕も、行きたくない場所に行くときや、会いたくない人に会う前は、演技ではなく、本当に身体が不調に陥り。声も低く、細くなってしまうからだ。 

 「奥村です。おはよう」

 「はあ」

どうやら、「おはよう」の挨拶に対して「おはようございます」と返す気もないらしい。僕は少しムッとしたが、気にしないことに決めて続けた。 

 「朝から連絡して悪いな。お前の携帯の留守電にもメッセージを残したんだけど、聞いてくれたか?」

 「はあ、さっき」

口をきくのも億劫という感じの、必要最小限の答えである。身体の不調だけでなく、心もどんよりと沈んだままなのかもしれない。 

みんな、心配してるぞ」  「で、どうなんだ、体調は。そろそろ出てこられそうか?

この問いに対し、S君はまったく答えになっていないことを返してきた。 

 「編集長、怒っていませんか?」

 「お前が『編集長は僕が嫌いなんでしょう』と言って、会議室から出て行ってしまったからか?」

 「はい」

問題は核心に近づいてきた。僕は心の中で「ここでSの感情を爆発させたら、話はさらにこじれてしまう。努めて冷静にならなければ」と自分に言い聞かせながら答えた。 

 「編集長はまったく怒っていないよ。お前が一本気で、企画立案に入れ込みすぎたんだろうと言っている。お前が会社に出てこないからも心配しているよ」

するとS君は、急に大声を張り上げてこう言った。 

 「奥村さん、この間のこと、やっぱりおかしいじゃないですか。もともと、編集長が僕にひどいことを言ったんですよ。僕を全否定するような言葉でした。編集長はきっと、僕のことが嫌いなんだと思います」

これも、僕がかけた言葉とはまったく噛み合わない発言だが、言われてもさほど驚きはなかった。ある意味で、予想通りのセリフだった。 

自分の行動で周囲を心配させたときも、S君の中に「他人に迷惑をかけた」という意識はまったくない。彼の頭の中では、今回の問題の原因はあくまでも、「編集長が自分にひどい発言をした」ということであって、悪いのは自分ではなく、編集長なのだ。 

この点こそ、彼のような(そして僕や息子のような)タイプの人間が周囲を怒らせる、最大の原因の一つになる。しかも、対策が厄介だ。 

息子もS君も、すべての言動の背後には、自分が考え抜いた、しかも他人から変えられたくない独自の「論理」がある。その論理を否定されただけで(S君の場合は、提案した短い企画をボツにされただけで)、自分の能力や人格のすべてを否定されたように受け止めてしまう。さらに面倒なことに、無意識のうちに「相手が僕を嫌っているから、僕を全否定したのだ」と他人に責任転嫁してしまう。 

それはおそらく、「自分を守る」ために発動される心の機能なのだろうが、その結果、彼らは「自分の論理が間違っている」という発想を持つことができない。だから、「反省」という行為もしにくくなって、同じような言動を繰り返してしまう。 

皆を震え上がらせた編集長の、辛辣なコメント

僕はS君の言い分を聞きながら、ふと、10年ほど前、同じような経験をしたことを思い出した 

当時、僕は新しい番組を担当することになったのだが、その番組の責任者である編集長が非常に優秀な人で、しかも、非常に厳しい人だった。特に企画会議では、部下たちが出す企画について、「こんなものは誰も見ない」「新鮮さがない」「なぜ、今この企画をやるのかが少しも見えない」「発想が陳腐すぎる」などと片っ端からダメ出しを連発し、その辛辣さには、敏腕と言われる先輩たちも皆、震え上がっていた。

そんなところへまだ若かった僕が入っていって、企画が通るはずがない。僕が考えた企画は、出した端からボツの山に変身した。 

そしてまもなく、何度目かの企画会議に出ることになった日の朝、僕に、今回のS君と同じような症状が出たのである。起床したら、熱が出て全身がだるく、立てないほどの腹痛に襲われたのだ。 

その日は、必死で立ち上がって無理やり出社した。そして、頑張って何本か企画を出してプレゼンしたのだが、やはり会議では、編集長のきついコメントと共にすべて落とされた。以後、企画会議の当日または前日には必ず熱が出て、腹痛に苛まれるようになった。 

この時期の僕は、S君とまったく同じことを考えていた。「編集長は俺を嫌っているから、俺の企画を落とし続けているに違いないんだ」と。そして実際、企画をボツにされるたびに、その思いは暗い確信にかわっていった。 

当時の僕はアパートで一人暮らしをしており、相談する家族もいなかった。企画会議の日になると、だるい身体を引きずって這うように出社し、何とか出席を続けた。 

そして深夜、アパートに戻ると、上司を呪う言葉を吐きまくった。声を出して泣いたことも、一度や二度ではない。 

しかし、今振り返ってみると、あれは良い経験だった。一人暮らしという立場ゆえ、「編集長に嫌われているから企画が通らない」という僕の自己中心的な言い分を聞いてくれる人がいなかったのが、幸いしたのかもしれない。辛い思いを抱えて企画会議に出続けているうちに、僕は次のような事実に気づいていったのだ。 

・僕だけでなく、会議に出席している先輩の記者やディレクターも、ほとんどの提案をボツにされている
・編集長は僕だけでなく、誰の企画に対しても辛辣な言葉を吐いている
・編集長は企画には厳しくコメントするが、僕を含めて部下の能力や人格を非難・攻撃することは一切ない
・たまに採用される企画は、いくつかの明確な条件を必ず満たしている

頭の中でこうした点を整理していった結果、僕は「企画がボツにされているのは、僕が編集長から嫌われているからではなく、僕の企画の質が低いからである」という事実を理解することができた。その瞬間、スッと気が楽になり、企画会議に出るのが怖くなくなったのを覚えている。 

やがて、たまにではあるが、先に述べたいくつかの条件を満たす企画を出すと、採用されるようになった。企画会議の日の発熱と腹痛は、きれいさっぱり消えていった。 

「なぜ、僕が謝らなきゃいけないんですか?」

僕は、受話器の向こうにいるS君に、そんな自分の経験を語ってみた。S君もおとなしく聞いていたわけではなく、「奥村さんの昔の上司だった編集長と、今の僕らの上の編集長とは別人ですから、重ねても意味がないんじゃないですか」とか「昔の奥村さんが出してボツにされた企画って、僕がこの前出したものほど丁寧に作っていたんですか」などと何度も話の腰を折り、何も知らない人が聞いたら挑発と受け取りそうな反論や質問をぶつけてきた。 

僕はそんな突っ込みを入れられても、まったく腹が立たなかった。やはり息子の発言と似ているからだ。息子もS君も、相手の話の中に論理的にわからない点があった場合、納得するまで質問を重ねる。その癖が出ているに過ぎない。 

だから、「くだらない理屈を言うんじゃない」とか「お前は俺をバカにしているのか?」とか「人の話は遮らずに最後まで聞け!」などと返すのは、S君をさらに混乱させるだけで、最悪の結果になる。僕は、 

 「別に2人の編集長を対比させているわけじゃないよ。編集長の仕事は昔も今も、純粋に企画のクオリティを判断して採否を決めるものだということを言っているんだよ」

 「昔の俺の企画を見ていないお前にはわからないことだけど、俺としては、簡潔でも十分にポイントを押さえた企画書を出していたと考えているよ」

などと、論理的に、主観と客観的事実をきっちり分けて説明しようと努めた。それによってS君の疑問を解消してあげられればいい、と思ったのである。 

こうして40分ほど話した結果、S君は、「企画のレベルが低かったからボツになった」ということに納得し、「自分は編集長から嫌われている訳ではない」とも理解してくれた。そうなると切り替わりが早いのも、僕の息子と同じだ。S君は急にさっぱりした声になって、「じゃあ、これから会社に行きます」と言って電話を切った。 

そして1時間後、S君は、何事もなかったかのような平然とした表情で職場に現れた。ばつの悪そうな様子はみじんもない。そしてパソコンを開くと、猛烈な勢いで仕事を始めた。 

問題は、同僚たちに対して、一言も「すみませんでした」とか「ご心配をおかけしました」という言葉がない点だった。S君は「自分が悪かった」という認識がまったくないから、謝ろうなどとは夢にも思わないのだ。このように、「周囲を巻き込んで大騒ぎしたのに、いったん自分が納得すると、一気に切り替えて普通の行動を取ることができる」という点も、息子とそっくりだ。 

しかし、こうした気配りができないことも、ASDを抱える人間が職場で誤解される原因になっているのは間違いない。僕は、一心不乱にメールを書いているS君の傍に寄ると、小声で言った。 

 「編集長のところへ行って、『この前はお騒がせしてすみませんでした』と謝れよ。そうした方がいいぞ」

案の定、S君は急に顔をしかめた。 

 「奥村さん、おっしゃっていることの意味がわかりません。なぜ、僕が謝らなければいけないんですか?

僕は何も悪いことはしていません。誤報を出した訳でもないし、会社の金を不正に使った訳でもない。休んでいる間も毎朝、プロデューサーに『体調が悪いので休みます』ときちんと連絡していたので、無断欠勤もしていません。何がいけないんでしょう? 

僕はいったい何について編集長に謝るんでしょうか?」 それなら先輩たちは、企画をボツにされたらいつも謝っているんですか? 僕がこの前出した企画のクオリティが低いというのは理解しました。じゃあ、会議でクオリティの低い企画を出したら、謝らなければならないんですか? 

斜め前に座っている先輩の記者が、ギロリとこちらを睨んできた。さらに、その隣のディレクターが、視線こそ送ってこないものの、上を向いて身体を揺らし始めた。おそらく貧乏ゆすりだろう。明らかに2人とも、S君の態度に怒っていた。 

悪気はなく、論理にのめり込んでいるだけ

僕は再び、心の中で「落ち着け。冷静になれ」と自分に言い聞かせながら、S君に説明を試みた。 

 「わかった。お前が編集長に謝らなければならない理由を言おう。まず、お前はお父さんに『編集長は僕のことが嫌いだから企画をボツにした』と嘘を言ったからだ。

その結果、お父さんは編集長に電話を入れ、ただでさえ忙しい編集長は、そういう虚偽の話で時間を取られてしまった。しかも、編集長はお前に嘘をつかれて名誉を毀損され、傷ついたんだ。だから、お前は編集長に謝らなければいけないんだよ。 

また、企画会議という公の場所で、自分の企画が通らなかったといって感情を爆発させるのは、社会常識から著しく逸脱している。企画が通らなくて面白くないのは誰も同じだが、だからといって怒りをあらわにしたり、会議室を出て行ったりするのは非常識きわまりないし、会議を統括する編集長にも他の出席者にも失礼だ。その意味でも、お前は謝る必要があるんだ」 

それでもS君は、「編集長が僕を嫌っていないという証拠もないでしょう」とか「会議の場で意見を言ってはいけないんですか?」などと反論を試みてきた。それに対して、僕は根気よく、「問題はお前が嘘をついたことにある」「意見を言うのは大歓迎だが、感情を爆発させるのは、会議の場では大きなルール違反だ」などと冷静に説得し続けた。 

そうすると、S君は急に納得したのか、「非常によくわかりました。では謝ってきます」と言ってスッと立ち上がり、編集長のところにスタスタと歩いて行って、「すみませんでした」と頭を下げた。編集長は、苦笑いを浮かべながら、 

 「まあ、奥村にずいぶん丁寧に説明されていたようだし、今回のことはもういいよ。今後は奥村と相談しながら、仕事に慣れていってくれ」

と言った。S君は「はい」と言ってきびすを返すと、再びスタスタと自分の机に戻り、猛烈な勢いでメールを書き始めた。やはり、何事もなかったかのような平然とした表情だった。 

その日の晩、S君が帰った後、編集長は僕を呼んでこう言った。 

 「よくSを職場に戻してくれたな。気に障ることもあるけれど、Sには悪気がなくて、とにかく徹底的に論理にのめり込む奴だということがわかったよ。それだけでも、俺にとって今回の騒動は意味があった」

僕は「はい」と答えながらも、複雑な心境だった。編集長からS君の教育係を命じられたとき、不遜にも「S君を職場で仕事ができるように変身させてみせよう」と決意したのは、前述した通りである。でも、今回の騒動を経て、それは不可能に近いということがわかってきたのだ。 

しかし、短い期間ではあるもののS君の仕事ぶりを間近で見て、僕は、彼が天性の鋭い映像センスと、卓越した撮影テクニックを持つことに気づいていた。きちんと働いてくれれば、チームにとって素晴らしい戦力になるのは間違いなかった。 

だったら、「S君を変える」のではなく、「周囲にS君の言動を理解してもらう」方が早道だし、職場にとっても有益ではないか---と僕は考えた。そのために今後は、S君の言動を理解してくれる同僚を1人ずつでも増やしていこう、と。 

しかし、それもやはり非常に困難な作業であることを思い知らされるのに、時間はかからなかった。数日後、S君が再び、問題を起こしたのだ。「S劇場」第二幕の幕開けだった。 

〈次回に続く〉

※この連載は原則として毎週土曜日に掲載されます。

 

 

2013年06月29日(土) 奥村 隆 

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第33回】
「飲食しながら会話すること」が絶対絶対にできない悲劇

職場の飲み会に出たがらない理由

 「編集長は僕が嫌いなんですね」と言い捨てて泣きながら会議室を飛び出し、3日間も欠勤した後、S君はようやく出社してきた(前回参照)。

彼の教育係を命じられた僕は、「俺と同じASD(自閉症スペクトラム障害)を持っているらしいこの厄介な後輩ディレクターを、どう扱っていけばいいのだろう」とあれこれ考えてみたが、有効な対策を思いつく前に、彼はまた一つ"やらかして"しまった。 

S君が入社して2ヵ月も経とうというのに、実は、僕たちの職場では彼の歓迎会をまだ行っていなかった。それはこの春、会社の制作現場が、諸々の事情で異常に忙しくなって、スタッフたちに時間的余裕がほとんどなくなってしまい、とても会合を持つなどという雰囲気にならなかったためである。しかも、S君が前述の企画会議でのトラブルを起こしたため、改めて歓迎会を開こうという雰囲気にはさらになりにくくなった。 

それでも、先輩のEさんという記者から、「このままじゃSがちょっとかわいそうだろ」という声が出た。E記者は、やはりS君がディレクターとして優れたセンスと技術の持ち主であることを見抜いていた。それで、全員がもっとS君とのコミュニケーションを密にして、彼を戦力として活用しなければならない、と思っているようだった。 

 「Sがこの前、泣きながら会議室を出て行ったのも、もちろん一番悪いのは本人だけど、俺たちが十分なコミュニケーションをとってやらなかったことも一因だと思うんだよな。このままだと、あいつ、ずっと孤立しちまうかもしれないぜ。

そうなったら、S本人もかわいそうだし、この職場にとってもいいことは何一つない。まずは、歓迎の飲み会でもやってやろうよ」 

職場の忙しさが峠を超えた時期でもあり、誰にも異存はない。僕も「本来ならそういうことは、教育係である俺が思いつかなきゃいけないことなんだよな」と少し反省した。EさんはさっそくS君のところに行って、 

 「遅くなっちまったけど、お前の歓迎会をやることにしたよ。まずは主賓であるお前の予定を聞かせてくれ。再来週のどこかでというのはどうだ?」

と尋ねた。ところがS君は嬉しがる様子もなく、むしろ驚いているようで、ポカンとした表情をしている。やがて、彼はぼそぼそとこう答えた。 

 「再来週はダメです」

どの曜日もふさがってるのか?」  「ダメ?

 「はい。再来週は毎晩、見たいテレビ番組があるんです」

 「・・・」

あまりに意表を衝いた返答に、Eさんは明らかに一瞬、ムッとしていたが、かろうじてその感情を呑み込んだらしく、再びこう聞いた。 

 「じゃあ、その翌週はどうだ?」

 「別にいいです」

『いいです』って、何がいいんだよ?」  「ん?

 「僕の歓迎会とか、別にやらなくていいってことです」

お前をチームの一員として歓迎し、親睦を深めるための会をやろうというんだぞ。飲み会が好きじゃないのか?」  「何だと?

 「好きじゃないです。ていうか、嫌いです。飲み会をやりたいのであれば、僕以外の皆さんでやってください」

失礼だぞ!」などとS君を怒鳴りつけるのではないかと思ったのだ。 周囲で聞き耳を立てていた同僚たちが、いっせいに息を呑むのがわかった。僕も緊張した。人情家であると同時に短気なことでも有名なEさんが、「何様のつもりだ! 

ところがEさんは必死で自制したらしく、くるりと振り返ると、無言で自席にスタスタと戻っていった。おそらく、「こんな若造相手に怒りを爆発させたりしたら、俺の価値が下がるだけだ」と判断したのだろう。 

こんなことがあれば、当然、周囲は一気に白け、気まずい雰囲気になる。なのにS君は何も感じていないらしく、きょとんとしていた。その後、今に至るまで、EさんはS君に一切話しかけようとせず、それどころか、目を合わせようともしない。 

組織の中で嫌われないための、必要最小限の努力

翌日の昼頃、会社の廊下を歩いていた僕は、傍の会議室のドアが開いているのに気づいた。何の気なしに覗いてみると、若い男が1人、奥の方の席に座り込んで、もぞもぞと何かを食べていた。よく見ると、S君がコンビニ弁当をかき込んでいるのだった。 

 「おい、何やってるんだ?」

 「弁当を食べています」

まったく無意味な会話を交わした後、僕はふと、「そういえば、Sが他人と飲み食いをしているのを見たことがないな」と思い当たった。昼だろうが、夜だろうが、お茶だろうが、酒だろうが、彼が人と飲食を共にしているのを見た記憶がない。 

ただし、それは僕にとって、決して不自然な印象を与えるものではなかった。僕もやはり、明確な目的もないのに同僚を飲み食いすることにまったく興味がない(むしろ好まない)からだ。 

以前にも述べたが、同僚たちと飲んだり食べたりする場においては、話のかなりの部分が愚痴か噂話(その多くが悪口)になる。しかし、僕は社内の噂にまったく興味がなく、他人の悪口を言い合って何が面白いのかもさっぱりわからない。たまに酒席で、口角泡を飛ばして同僚の男女関係の噂話(それも何十回と繰り返された話)を延々と続けているような連中を見ると、軽蔑の感情以外、何も感じない( 第15回参照)。

そうか、S君もそういう点でやはり俺と同類なのかもしれない---と僕は思った。ならば、教育係としてアドバイスできることはある。 

僕も、職場の飲み会で同僚のつまらぬ愚痴や悪口につき合うよりは、食事は1人ですませ、見たいテレビ番組を眺めている方を好むタイプの人間だ。しかし、往々にして組織の中で、そういうASD特有の言動が「協調性がない」「わがままだ」「不快だ」「空気を読まない」などと否定的に受け止められ、嫌われ、ときには迫害されるというのも、経験から知っていた。 

これが、いわゆる「大人の発達障害」を持つ者が社会で働いていく上で、困難になることの一つだろう。だから僕は、S君に自分の経験を話し、こうアドバイスするつもりだった。 

しかし、組織の中にいるのであれば、意味もなく嫌われないようにする努力はした方がいい。  「お前の気持ちは、俺も似たところがあるからよくわかる。酒の席のバカバカしい話に付き合うのが嫌なんだろう?

その一つが飲み会だ。しょっちゅう先輩と飲み歩く必要はないけれども、歓送迎会や忘年会などは、必要最小限のことだと割り切って、面白くなくても出た方がいい。そうすれば、ひどく嫌われることはなくなるよ。これは、やはり職場の飲み会を嫌う俺が、経験から学習した知恵だ」 

そんな説得の計画を立てながら、僕は自席で、S君が隣に戻ってくるのを待った。 

楽しいはずの食事の席で、誰も喋らない家庭

僕が飲み会に出ないのは、噂や悪口が飛び交うことと何の関係もありませんよ」  「奥村さん、何か誤解してませんか?

S君は怪訝そうな顔で言った。場所は打ち合わせ用の小部屋である。弁当を食べ終わって戻ってきた彼に、僕は「ちょっと話がある」と言って、一緒にこの部屋に入った。そして、「嫌いかもしれないが、必要最小限の会社の飲み会には出た方がいいぞ」と説き聞かせたとたん、先のような答えが返ってきたのだ。 

 「何だって?じゃあお前、どうして飲み会が嫌いなんだよ」 

 「僕はそもそも、『モノを飲み食いしながら人と話す』ということができないんです。飲み会で出る話の中身は全然関係ありません。話そのものが聞き取れないんですよ。だから、自宅で家族と食事をするときも、基本、僕は喋りません」

 「そうすると、お前は子供の頃、家の食事の席で、その日に学校であったことを親御さんに報告するとか、友達と遊びに行った話をするとか、お父さんの趣味の話を聞くとか、そういうことはなかったのか?」

 「一度もありません。だって、食べ始めると、僕は人の声が聞こえなくなるし、自分で発言することもできなくなってしまうんです。『飲食』と『会話』を同時にすることができないんですよ」

 「そうか。じゃあお前は、夕食時の団欒というものを知らないんだな」

 「知らない・・・ですね。両親も僕に悪いと思うのか、ここ10年くらい、食事中はほとんど喋らなくなっているので」

そう言うと、S君は初めて淋しそうな表情を見せた。それは、企画がボツにされたと言って泣きわめいたときの悲痛な表情とはまた違う、哀しげな面持ちだった。 

僕は何も言えなかった。楽しいはずの一家の食事で、誰も一言も喋らず、全員が黙々と食べているだけの光景を想像して、胸が詰まってしまったのだ。 

それとも飲み食いすればいいのか?」と迷う気持ちが強烈に湧き起こってきて、パニックになってしまう。 さらにS君が問わず語りにしてくれた説明によると、彼は同じ理由で、BGMが流れる店で飲食することもできないのだという。どんなにBGMの音量が小さくても、ひとたびそれが耳に入ってくると、「ああ、俺は音楽を聴けばいいのか? 

 「だから、他に客がいなければ、店に頼んで『BGMを切ってもらえませんか』と頼むんです。応じてくれる店もありますけど、中には『うちでかけている音楽が嫌いなら帰ってくれ』と怒り出す店主もいます。

まあ、今はそもそも、BGMがかかっていない店の方が少ないですからね。だから外食はほとんどしなくなりましたし、自宅で食事するか、あるいは、さっきみたいに音のしない会議室で弁当を食べていた方が、ずっと楽なんですよ」 

前に述べた通り、僕も子供時代から、複数の音声の中から一つを選び出して認識することがきわめて困難だ( 第7回参照)。しかしS君のように、飲食することと音を聞くことが両立できないというケースがあるのは初めて知った。S君は淡々と続けた。

 「そんな僕ですから、会社の飲み会に参加したり、会社の人と昼ご飯に行ったりすることなんて、できるはずがないんです。いくらおいしいものを出されても、周囲で誰かが会話を始めたり、話しかけられたりしたら、心が割れそうなパニックになるか、猛烈にイライラするかで、米粒一つ、食べられなくなってしまうんですから」

僕は、自分よりずっと深刻な問題を抱えた人間に会った衝撃に打ちのめされていた。しかも、そのS君を、曲がりなりにも一人前のディレクターに教育しなければならないのだ。僕は溜め息を吐いて、呆然と彼の顔を見つめていることしかできなかった。 

取材中の映像と音声をすべて記憶できる

ところが、S君の話はそれで終わらなかった。僕が熱心に聴いていたのに気をよくしたのか、さらに驚くべき告白を始めたのである。 

S君は、「飲み食いする」と「聞く」を同時にできないだけでなく、基本的に、複数の行動を並行して進めること自体がきわめて困難なのだという。また、一つの行動をしているときに、別の行動をしなければならない羽目になると、やはり激しいパニックに陥る。 

 「この前、自宅で歯を磨いているとき、宅配便が来て、玄関のインターフォンが鳴ったんです。そのとたん、僕の中で『このまま歯を磨き続けたい』という強烈な気持ちと、『訪問者に応対しなければならない』という義務感が同時に生じて、胸の中でぐるぐるせめぎ合い、もう、どうしたらいいのかわからなくなって、しゃがみ込んでしまったんです」

 「そういうときはまず、すぐに口をゆすいで歯磨きを中断し、それから玄関のインターフォンに対応すればいいじゃないか。歯磨きなんてまたあとでできるんだから」

 「今、冷静に考えてみると、その通りだというのはわかるんです。でもそのときは、もう頭も心も混乱してしまって・・・。結局、僕はインターフォンに出ることができず、訪問者が宅配便業者だったというのは、郵便受けに残っていた不在連絡票で知りました」

テレビ番組制作の仕事なんて、とても不可能ではないのか? それを聞いたとき、急に僕の頭の中で大きな疑問が湧き起こってきた。同時に二つの行動が取れないのであれば、このS君は、これまでどうやって仕事をしていたのか? 

どうやって取材していたんだ? 人をインタビューしながらメモを取ったことはないのか?  「ちょっと聞きたいんだけど、じゃあお前は今まで、電話をしながらメモを取ったことがないのか?

お前は本当に大丈夫なのか?」 昔も今もメディアの世界では、他の媒体の記事をコピペしたり、人の証言を捏造したりして、社会的生命を失う人間がいるのをお前も知っているよな? まさかウィキペディアとかのコピペじゃないだろうな? お前がこれまでニュースレポートで伝えてきた情報や内容は、本当に正しいんだろうな? 

不安に駆られた僕は、一気に畳みかけた。おそらく無意識のうちに、早口で問いつめるような口調になっていたと思う。しかしS君は「何を興奮しているんですか?」と言いたげな冷静な視線を僕に向けると、淡々とこう返してきた。 

 「大丈夫です。僕は取材相手の話を全部、記憶することができますから。

もちろん、可能な限り録音はします。しかし、相手が録音を許してくれない場合や、急に話を聞くことになって録音機材が手もとにない場合もよくありますよね。そういうときは覚えてしまうんです」 

 「そんなに何時間でも、お前は人の話を聞いて完璧に覚えられるのか?」

 「そこは限界がありまして、1時間半以内ですね。そこまでであれば、人から聞いた話をすべて頭から記憶して、後で再現できます。不思議なことに、僕は『聞く』と『記憶する』の二つの行動だけ、なぜか同時にできるんですよね」

僕はS君の思わぬ能力に驚愕した。さらに細かく聞いていくと、「記憶しよう」と意識した場合、1時間半以内であれば、映像と音声を一度に脳に焼きつけることができるという。その時間を超えた分は、かなり曖昧になってしまう。

だからS君は、録音なしの取材は、なるべく1時間半以内で終わらせるようにしているそうだ。取材が終わると、覚えた内容を頭の中で正確に再現し、パソコンやノートにきちんと記録していく。 

ただし、驚異的な記憶力が発揮されるのは、あくまで取材相手が1人のとき。2人以上から同時に話を聞いて記憶することはできないという。だから、複数の人が出席する座談会などを担当するのは、番組のためにもなるべく避けたい。それでも、映像は鮮明に記憶している。 

すべての作業をたった1人でこなしてしまった

S君の話を聞きながら、僕はかすかな敗北感を味わっていた。それは、「めったなことでは人には負けない」と自負していた記憶力で、完全に彼が僕を上回っていることがわかったからだ。 

僕は子供の頃から、視覚で捉えた情報を写真のように脳に焼きつける、「フォトグラフィックメモリー」という特別な能力の持ち主だった( 第5回参照)。しかし残念ながら、聴覚で入ってくる情報はあまり記憶することができなかった。

かつて見たテレビドラマや歌番組についても、はっきりと記憶は脳に刻まれているのだが、それらはすべて「音のない映像」だ。子供の頃に夢中になった歌謡曲番組『ザ・ベストテン』についても、ランキング発表のシーンや歌手が歌っているところの映像は、すぐに目の前によみがえってくるのだが、音声はミュート状態なのである。人気歌手たちの声だけでなく、司会の久米宏さんや黒柳徹子さんの声もまったく記憶にない。 

その点、映像も音声も同時に記憶できるS君の能力が、はっきり僕を凌駕しているのは間違いなかった。しかもS君は、記憶を保持していられる時間も、明らかに僕より長いようだった(話しているうちにわかってきた)。僕は彼の説明を聞きながら、内心ひそかに「負けたか・・・」とつぶやいていた。 

そんなS君も、やがて、少しずつ職場に馴染んできたようだった。そして、彼の仕事ぶりが独特だということを、次第に同僚たちも理解するようになっていった。 

S君はまず、同僚と仕事以外の話、つまり雑談を一切しない。もともと出社時刻は早かったが、日を追うごとにさらに前倒しになっていき、午前7時に落ち着いた。他の誰よりも早いその時刻に職場にやってきて、仕事を一心不乱にこなし、基本的に定時に帰っていく(もちろん残業があるときは別)。もっと早く社を出られるときでも、ずっと職場に残って、1分と違わず定時に席を立つのだった。 

前述のように、自らの優れた記憶力の話をしてくれた数日後、S君は編集長から「5分のニュースリポートを1日で制作してくれ」と命じられた。教育係として脇から見ていると、彼の制作のやり方は、他の記者やディレクターとはまったく違っていた。S君は、制作作業をすべて1人でこなしてしまうのだ。 

普通の記者やディレクターは、撮影するときはカメラマンを連れていき、編集するときは編集マンという専門の人に頼み、自分は原稿だけを書いて、画面に載せる字(テロップ)はやはり専門の担当者に作ってもらう。ところがS君は、この一連の作業を、最初から最後まで自分だけでやってしまった。

取材現場には、カメラを担いで1人で行き、自ら撮影した。ここまでは、他の記者やディレクターでもできる人は多いのだが、そこからが違った。会社に戻ってきたS君はスッと編集室に入り、誰の力も借りず、あっという間に映像を繋いでみせたのだ。 

さらに、編集室に持ち込んだ自分のパソコンを使って、映像に載せるテロップとコンピュータグラフィックス(CG)をまた独力で作り、ニュースリポートを完成させてしまった。その間、わずか6時間である。 

正直なところ、内容を見ると、S君が制作したニュースリポートには、稚拙な部分や独りよがりで未熟な部分もあった。ただし、制作作業すべてを、1人でここまで手早くこなせる記者やディレクターはまずいない。しかも、僕たちの職場はずっと慢性的な人手不足に悩んでいる。S君がスピーディにニュースリポートを作ってしまった翌日、僕は編集長に呼ばれてこう言われた。 

 「奥村が面倒を見てくれたおかげかどうかは知らんが、Sの奴、なかなかやるじゃねえか。この前の企画会議のときみたいにわがままなことをしなければ、あいつ、戦力としてかなり使えるようになるぞ」

 「同感です」

 「この調子で、これからもよろしく指導してやってくれ」

僕は「はい」と返事しながら、「Sは意外に早く職場になじんでくれたな」と思い、少しホッとしていた。しかし、そんな穏やかな時間が長く続くはずもなかった。 

「やっぱり僕、嫌われていると思います」

2日後、S君は再び編集長からニュースリポートの制作を命じられた。しかも、前回より長尺の7分のリポートである。彼の能力を認めた編集長が、より大きな仕事を任せたのだ。取材に2日、撮影に1日、編集に1日半と、与えられたスケジュールも長くしてもらった。 

もう一つ、さらに大きな変化があった。S君に、撮影のためにカメラマンが、編集のために編集マンが付くことになったのだ。制作スケジュールにもマンパワーにも余裕ができたわけで、テレビの制作をしている人間であれば、誰でも大喜びして編集長に感謝するだろう。 

ところが、S君は違った。編集長に呼ばれ、「お前にカメラマンと編集マンを付けてやるからな。しっかり作れよ」と言われて自席に戻ってきた彼は、顔面蒼白で、つらそうに歯を食いしばっているではないか。思わず僕が、「おい、どうしたんだ?」と尋ねると、S君は、さすがに周囲の視線を気にしたのか、押し殺したような声で僕にこう言った。 

 「奥村さん、僕、何か悪いことをしたでしょうか?」

何の話だよ」  「はぁ?

 「やっぱり僕、編集長に嫌われているんだと思います」

そんなこと、あるはずないだろ。この前、誤解は解けたじゃないか。今回は、前回より長いリポートの制作をお前に任せているんだし」  「お前、何を言ってるんだ?

 「だって編集長は、カメラマンと編集マンを僕に付けたんですよ。僕は1人でニュースリポートを完璧に作れるし、1人で作りたいんだ。なのに、なんでカメラマンと編集マンを付けられなきゃいけないんですか。やっぱり、僕が嫌いだからじゃないですか」

 「・・・」

絶句している僕の前で、見る見るうちにS君の表情が歪んでいった。僕は「あっ!」と叫び声を上げそうになった。先日の企画会議で泣きわめいたときとそっくりの表情になっていたからだ。そして彼は、本当に涙をぽろぽろこぼして泣き始めた。 

僕はそう思って、文字通り頭を抱えてしまった。 良くしてもらって、何が不満なんだ? 何を考えているんだ、こいつは? 

それまでは同僚たちに聞こえぬよう、S君と僕は座ったまま小声で話していたのだが、やはり大の大人が泣き出すと、周囲はその"異変"に気づく。斜め前の席の先輩が、「奥村、S、何かあったのか?」と心配そうに声をかけてきた。 

そう聞かれても、「何があったかも、よくわからないんですよ」と答えるしかない。横ではS君が「僕1人で完璧に作れるのに~」とつぶやきながら嗚咽を続けている。僕は「やれやれ・・・」と、村上春樹の小説の登場人物のような言葉を漏らして、床にへたり込んでしまった。 

〈次回に続く〉

 この連載は原則として毎週土曜日に掲載されます。

 

2013年07月06日(土) 奥村 隆 

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第34回】
先輩に「あなたの仕事の技量が低いことが問題です」と発言した

他の人と一緒に仕事をするのが嫌なんです

 「僕は1人でニュースリポートを完璧に作れるんですよ。どうしてカメラマンと編集マンを付けられなきゃいけないんですか!」

こう言って泣き出したS君を、僕は床にへたり込んで呆然と見上げるしかなかった。いくら隣同士の席で小声で話していても、さすがに彼が泣き出せば、他の同僚たちも異変に気づく。 

とは言っても、S君には、泣きながら会議室を飛び出した"前科"があるだけに、誰もそれほど驚いていないようだった。皆、「またか」という雰囲気で、半ばS君を軽蔑したような、半ば教育係の僕に同情するような視線を送ってきていた。そんなことに気づく様子もなく、彼は相変わらずしゃくり上げている。 

僕は気を取り直して、泣いているS君を促し、一緒に打ち合わせ用の小部屋に入った。なぜ、1人でニュースリポートを制作するのがそんなに嫌なのか、きっちり事情を聞こうと思ったのだ。 

しかし、S君は感情を高ぶらせたまま、早口で「やっぱり編集長は僕のことが嫌いなんだと思います」と言うばかり。こちらの質問など、まったく耳を傾ける様子がない。 

困り果てているところに、部屋のドアが開いて、編集長が入ってきた。先ほどのS君の「編集長は僕のことが嫌いなんだと思います」発言を聞かれなくてよかった・・・と内心ホッとしていると、編集長は僕の隣の椅子にドカッと腰を下ろし、単刀直入に切り出した。 

 「おいS、今ちょっと他の連中に聞いたけど、お前、カメラマンと編集マンを付けられるのを嫌がってるらしいな」

 「嫌です」

さすがに目の前に編集長が現れると、S君は泣くのをやめ、うつむいたまま短く答えた。この前のトラブルで編集長に迷惑をかけたことが脳裏をよぎったのか、あるいはまったく忘れてしまっているのか、それはわからなかった。 

カメラマンや編集マンが付くと、制作マンはみんな喜ぶのが普通だぞ。やっぱり彼らは本職だからスキルがあって、番組のクオリティを上げてくれるし、お前にかかる時間と労力の負担も減るじゃないか」  「どうして嫌なんだ?

 「そんなこと、どうでもいいんです」

 「どうでもいいって?」

ここでS君は顔を上げて編集長を見た。表情から先ほどの興奮の色は消えていたが、そのかわり目元には、「梃子でも動くものか」と言いたそうな頑固で剣呑な雰囲気が漂っている。

 「僕、自分以外の人間と一緒に番組を制作するのが嫌なんです。カメラマンや編集マンがいなくても、僕はきっちり番組を作れます。なぜ無意味で嫌なことを、わざわざやらされなければいけないんですか?」

 「お前が1人できっちり仕事ができるというのは、この前、お前が作った5分間のニュースレポートを見てよくわかった。取材力も映像センスも良い。その力量は認めよう。

でもな、カメラマンや編集マンの力を借りれば、さらに良いものができるようになるんだ。だから、今回はカメラマンと編集マンと一緒にレポートを作ってみなさい。 

これは、お前の勉強にもなるんだぞ。今回はまだ7分だから、お前だけで何とか作れるかもしれない。しかし、この仕事をしていれば、いずれ、もっと長尺の番組を制作する日が来る。そのときに、とても1人ですべてを作ることはできないんだからな」 

みんな、僕みたいな人間が嫌いなんです

編集長も直感的に「Sには冷静かつ論理的に接しなければならない」ということに気づいていたらしく、終始穏やかな口調で、淡々と説得していた。幸いなことに、編集長はもともと落ち着いた性格で、部下の仕事のクオリティには厳しいものの、ヒステリックに怒鳴ったり激高したりすることが想像しにくい人ではあった。 

しかし、編集長がどれほど論理的に「カメラマンや編集マンと仕事をすることの意義」を説いても、S君は聞く耳を持たなかった。「そんなことは絶対にできません」「将来の事なんてどうでもいいです」「勉強のために番組を作るなんて本末転倒じゃないですか」などと、子供のように駄々をこねたり、屁理屈を並べたりして、一向に首を縦に振らない。結局、編集長もついに堪忍袋の尾が切れたのか、 

共同作業なんだよ。  「テレビの仕事というのは、基本的に1人でするものじゃないんだ。わからんのか?

いいか、今回はカメラマンと編集マンと一緒にやれ。奥村、お前もちゃんとSの面倒を見てやるんだぞ」 

とピシャリと言い捨てると、小部屋を出て音も高くドアを閉め、自席に戻ってしまった。おいおい、その面倒を見られないのがSという奴だからこんなに苦労してるんじゃないっすか・・・と、僕は思わず言い返したくなってしまった。そんな気持ちも知らず、S君は、 

 「どうしても僕1人で作ることはできないんですか。だったら、もうこの会社で仕事はできません!」

と、一向に妥協する様子がない。それに対し、ムッとした僕の口からは、ほんの一瞬だけ「ならば、この会社なんてやめちまえばいいじゃないか」というセリフが出かかった。しかし、すぐに、前にS君のお母さんから「息子がご迷惑をおかけしまして、本当に申し訳ありません」と電話で何度も謝られたことが記憶によみがえると、言いたいことをグッと呑み込んで、溜め息を吐くしかなかった。 

僕は萎えそうな心を必死で奮い立たせながら、S君の顔を正面から見つめた。そして彼に「まあ、落ち着け」と声をかけ、こう聞いてみた。 

 「お前が1人で短いレポートを作れることはわかった。でも、そこまでカメラマンや編集マンと仕事をするのを嫌がるというのは、『1人でできるから』だけではなくて、他にも何か原因があるんじゃないのか?」

 「カメラマンも編集マンも、みんな、僕みたいな人間が嫌いなんです。特にカメラマンが僕を嫌うんです」

最初はこんな訳のわからない答えしか返ってこなかったが、僕はそれでも辛抱強く、彼の話を黙って1時間ほど聞き続けた。そしてようやく、S君がそこまで頑なな理由が理解できたのである。

それは、後で僕から報告を受けた編集長が「そりゃ本当に大変だったな・・・」と腕組みをして黙り込んでしまうような、そして、ASD(自閉症スペクトラム障害)を抱える僕にとっては決して他人事とは思えないような、深刻な内容だった。 

僕の意図を他人に正確に伝えるのは不可能です

S君は、大学を出てから僕たちの会社に来るまでに、いくつかのテレビ局を転々としながら、短めのVTRレポートを中心に番組制作をしてきたという。その間に作ったレポートは200本以上に上るらしい。 

驚くのは、最初の1本目のレポートだけは当時の職場の先輩に指導を受けて制作したものの、その後の200本余りはすべて自分1人で作ったという経歴だ。撮影にカメラマンを使ったのも、編集に編集マンを使ったのも、1本目のときだけだったという。そのいきさつをS君はこう語る。 

 「先輩に教えてもらって作った最初のレポートで、僕は、撮影方法も編集方法も原稿の書き方も機材の扱い方も、すべて理解しました。先輩の作り方を見て完全に覚え、すぐにマスターできたんです」

 「この前話してくれたお前の凄い記憶力(33回参照)を使ったのか」

 「そうです。まあ、視覚と聴覚から入ってくる情報に集中すれば、撮影や編集の方法なんて、一度でまず覚えられます。それを記憶に定着させると同時に、念のため、PCやノートに整理、記録して、すぐに自分なりのマニュアルを作ったんです」

 「なるほど、そういう訳だったのか」

僕は感心しつつ、再び、自分をはっきり上回っているS君の記憶力に淡い羨望を覚えた。もちろんS君はそんなことに気づくはずもなく、話し続ける。 

 「だから僕は、他の誰とも一緒にやる必要がないと思ったんです。実際、必要はありませんでした。

それに、1人で制作した方が、当たり前ですが経費も安くすみます。このコストカット最優先の時代に、ベストのやり方を僕はしてきたわけですよ」 

 「確かにうちの会社だけじゃなくて、テレビの世界全体が『1円でも金を削りまくれ』というシビアな流れになってるよなぁ。それは事実だ」

そして何と言っても、カメラマンや編集マンなど、自分以外の人間が制作に関わらないから、余計な手間がかからない。これが大きなメリットなんです」  「でしょ?

彼らに撮影や編集を任せられるわけだから、お前の手間はむしろ省けてありがたいことなんじゃないのか?」  「ちょっと待て。そこが俺にはわからないんだ。なぜカメラマンや編集マンが制作に関わると、余計な手間がかかるんだ?

僕がこう尋ねると、S君はすぐに不機嫌そうに目を吊り上げた。そして、「どうしてわかってもらえないんすかね?」とつぶやくと、「ハーッ」と溜め息を吐き、明らかにふてくされた口調で話し始めた。 

「カメラマンだろうが編集マンだろうが、他のスタッフに自分の意図を正確に伝えるのは非常に難しいんですよ。っていうか、事実上、そんなことは不可能なんです。わかりませんか?

僕もこの仕事を始めて最初の頃は、自分の頭で考え抜いた撮影の意図や、編集の意図を正確に丁寧に説明して、理解してもらおうと試みました。でも結局、カメラマンにも編集マンにも理解してもらえませんでした。 

だったら自分1人でやった方が簡単だ、と思ったんですよ。で、実際、そうしてきましたし」 

 「でも、論理的に正確な説明をすることは、お前の得意中の得意だろう?」

僕がそう問うと、S君はうんざりしたように苦笑して首を横に振った。 

人の気持ちを無視した発言が、大トラブルに

 「僕の説明は、いつも1ミリの隙もない、論理的なものでした。昔も今も、それは同じです。僕は自分の意図について、完璧な説明ができるんです。

でも、カメラマンや編集マンには、論理的な思考が苦手な人間が結構いるんです。僕が駆け出しの頃に組まされそうになったのも、そういう人たちが多かった。 

困るのは、彼らは僕の説明を論理的に理解できないだけでなく、理解しようという努力もしないし、逆にしょっちゅう感情的に反発するということです。よく言われましたよ、『若造が偉そうに何を言ってるんだ』とか、『頭で考えた理屈を並べてるうちは、いつまで経って使いものにならないぞ』とか。 

要するに、彼らは僕の説明を理解できなくて、しかも理解できないとバレるのが面白くないから、先輩風を吹かしているだけなんです。結局、僕がどれだけ論理的に説明しても、相手が論理的な文脈を理解できない脳だったら、コミュニケーションも伝達も成立しないんです。 

先ほど、これまで作ってきたリポートのうち、最初の1本以外はすべて僕1人で制作したと言いましたが、実は1本目の後も、何度かカメラマンや編集マンと一緒に作りかけたものがあったんですね。でもカメラマンは、僕が意図した映像を撮影することができず、編集マンも、僕が満足できる編集をすることができなかった。それでボツにしました」 

そんなふうに、嫌々ながらカメラマンを使って制作している最中、S君が発した一言が、大きなトラブルに発展してしまったことがあるという。僕や息子などASDを持つ人間がよくやる、「場の空気を読まない発言」「人の気持ちを無視した発言」である。 

そのとき彼が組んだカメラマンは、20年以上の経験を持つ40代半ばの男性だった。ある撮影会社に所属しており、若手カメラマンを束ねる立場にあった。いわば、現場の仕事と同時に管理職的な肩書も持っており、それなりのプライドを持っていたことは想像に難くない。 

このカメラマン、技術面では今ひとつだったが、弁は立ち、いわば周囲とのコミュニケーション能力のおかげで仕事を得ていた人だったらしい。このような、自分についても他人についてもスキルをさほど重視しないタイプの人間と、S君のような、緻密に仕事を積み重ねて良い作品を仕上げようとするタイプの人間は、往々にしてうまく行かないものだ。 

ただし、ここでお断りしておくが、カメラマンや編集マンには、もちろん温厚で優秀な人も少なくない。「論理的な思考が苦手な人が多い」というのはあくまでS君の意見で、僕の見るところ、決してそんなことはない。むしろ、僕のようなディレクターや記者とは別の鋭い視点で情報を切り取って、こちらをあっと言わせてくれるケースもよくある。 

幸運なことに、僕が駆け出しの頃にお世話になったカメラマンや編集マンは、そういったタイプの人たちばかりで、よく親切に助けてもらい、不快な思いをさせられることはまったくなかった。そういう意味では、S君にとって、初期の出会いであまりにも不運が続いたのかもしれない。 

プライドをズタズタに傷つけられて激怒

話を戻そう。当時S君は、組んだベテランのカメラマンの理解力が低いことと、スキルが足りないことに相当、業を煮やしていた。ある日、そのカメラマンが撮った映像を見て、S君は苛立ちを爆発させ、こう告げた。 

あなたの撮影の技量は、とてもプロとは言えません」 僕の説明がわからないのですか?  「どうしてこんなにレベルの低い映像しか撮れないのですか?

俺の映像にお前が満足できないのは、お前がはっきりしない説明しかしていないからだよ」  「何を言ってるんだ?

 「それは間違いです。私の説明は完璧で、問題はありません。問題があるのは、あなたの理解力とスキルだけです」

そしてS君は、あり得ない侮辱を受けたショックで凍りついているカメラマンの前で、持ってきていたビデオカメラを取り出し、サッと対象物を撮影した。さらに、その映像をカメラマンに見せると、こう畳みかけたという。 

 「これが使えるレベルのプロの映像ですよ。僕はあなたにこう撮影してほしかったんです。ここまで説明すれば、わかりますか?」

このとき、S君が短時間で撮影した映像は見事なものだったらしい(本人の言い分だから真偽のほどは不明だが、秀逸な映像センスを持つ彼のことだから、おそらく本当に良いものを撮ったのだろう)。でも、こんなことをしたら、カメラマンのプライドは、当然ながらズタズタに傷つく。自分の技量がいかに足りなくても、そんなことは棚に上げて、激怒するに決まっている。 

案の定、カメラマンは顔色を変えてS君を睨みつけ、無言のまますぐにその場を立ち去ると、会社の上層部に事の顛末をすべてぶちまけ、S君への憎しみと怒りに満ちた報告を行った。さらに、それでも収まらず、番組の編集長のところに怒鳴り込み、 

あいつは何様のつもりなんだ」  「20年以上もこの仕事をやっている俺が、なんであんなガキに『プロの技量じゃない』とか何とか言われなきゃいけないんだよ!

とわめきながら抗議するという騒ぎになったそうだ。編集長も、相手がベテランの中間管理職的な立場にいるカメラマンだけに粗略にできず、閉口しつつも「申し訳ありません。Sにはきちんと注意しておきます」と謝って、かろうじてその場は収まったという。 

と言っても、まだ仕事を始めて日が浅いS君の本質を見抜けるほど、編集長も彼のことをよく知らなかった。「若い元気な奴がちょっと生意気なことを言ったのだろう」くらいに思ったらしく、S君を呼んでカメラマンから抗議があったことを説明し、 

 「いいか、仕事というのはいろいろな人と一緒にやるものだが、どんな不満がある相手に対しても、プライドを根本的に傷つけるようなことを言ってはいけない。しかも、カメラマンや編集マンとうまくやっていくのはお前の大切な仕事の一つだ。それができないようじゃいかんぞ」

と、通り一遍の注意をした。しかし、そのくらいのことで納得するS君ではない。 

 「技量の劣る人と一緒に番組を作るくらいなら、僕1人で全部やります。その方が良いものができますから」

と啖呵を切った。以来、S君はずっと1人でリポートの制作を続けてきたという。 

仕事の能力は最高だが、人間関係を構築する力は最低

これまでいくつかのテレビ局を渡り歩いてきた理由も、そんなS君らしいものだった。職場にいづらくなるきっかけは、他部署の人のメンツを潰したとか、上司の言うことを頑なに聞かなかったなど、社内の人間関係のこじれによるものだった。 

そうやって組織内で摩擦を起こしているうちに、頭痛や腹痛、発熱などの症状が連日のように起こって出社が難しくなり、辞めざるを得なくなる。それがお決まりのパターンだった。 

しかし、その一方で、彼は取材先からのクレームや、放送内容の問題で辞めたことはまったくない。S君を採用するときに簡単なリサーチをした担当者からも聞いたのだが、こと番組の制作という仕事に関する限り、彼はどの職場でも、おそろしく真摯な姿勢で積極的に臨んでいたようだ。 

取材を申し込む個人や組織に対しては、先方が取材を受けることによって被る可能性がある問題をすべて、あらかじめ徹底的に説明するのがS君の流儀だった。もちろん、番組の構成や、その中で相手への取材内容をどう使う予定かについても、その時点でわかっている限りのことを説明する。 

だから彼は、放送後に「そんな内容の番組だとは聞いていなかった」といったクレームを受けたことは一度もない(残念ながら、テレビ番組の制作に当たっては、その種のトラブルがときどき生じる)。それどころか、他の記者やディレクターには口を開かなかった取材先からS君が大きな信頼を寄せられ、普通では撮れないような映像を撮らせてもらえたことも度々だったという。 

人物のインタビューに当たっても、事前の勉強は完璧だし、段取りにもまったく隙がない。しかも、インタビューは必ず1時間半以内に終わらせて、そのすべてを記憶しているから、放送したリポートに情報の誤りは絶対にない。 

そうなれば、1人で仕事をしている限り、S君がプロとして信頼されるのも当然だ。話を聞きながら、彼のテレビ制作者としての能力は抜群だと僕は改めて感心した。 

しかし、職場での人間関係は仕事とは別だ。S君はただでさえ他の職種や部署の人と軋轢を起こしがちで、しかも1人で良い仕事をすれば、ときに周囲から妬みも受ける。同僚や上司と飲みにも食事にも行かないので、「協調性がない人間」「得体が知れない奴」「何を考えているのかわからない変人」などと悪く言われる。 

そんな職場の風評など無視して仕事に邁進すればいいのだが、S君の場合、そう言われると、「協調性がなくて私はあなたに迷惑をかけていますか」「私が何を考えているか、なぜいちいちあなたに言わなきゃいけないんですか」などと正面から言い返す。その結果、人間関係がさらに悪化してしまう。 

そんなS君の話を聞いているうち、僕の脳裏に、大学時代、Numbers研究会というサークルで一緒だったYという男が苦闘する姿が浮かんできた。大学を出て金融機関に就職したYは、誰もが羨む優秀な頭脳を持ちながら、ASDを抱えるがゆえに、組織内の人間関係をスムーズに構築することができなかった。 

職場を転々としたものの、どこでも「人の気持ちに配慮しない言動」を繰り返し、嫌われ、無視され、常に浮いた存在となってしまう。その結果、現在は1人でデイトレーダーをしている( 18回参照)。ただし、優秀な能力のおかげでかなり稼いで良い暮らしをしているそうで、そのことについては僕もホッとしている。

サラリーマン時代のYが、勤務先の会社でどんな態度を取っていたのか、僕とはまったく別分野なので知る由もなかった。しかし、S君の回想を聞いているうちに、それがまるでYの人生をなぞっているかのような錯覚に陥った。S君の軌跡は、それほど、Yがもがき苦しんだ十数年と重なるものだった。

同じASDを抱えている僕が同じ職場にいるからには、S君にYのような思いはさせたくない。いろいろ腹の立つこともある奴だけど、悪意はまったくないのだし、何とかテレビ制作マンとしてもっと成長させてやろう---。淡々と語るS君の顔を見ながら、僕は改めてそう思ったのだった。 

〈→第35回〉

 この連載は原則として毎週土曜日に掲載されます。

 

2013年07月13日(土) 奥村 隆 

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第35回】
「メチャクチャをやるしかない」という叫び声を上げるとき

黒雲のように不安が湧き上がってきた

7分間のニュースリポートを作るに当たって、後輩ディレクターのS君は頑なにカメラマンと編集マンと組むことを拒み、延々と「僕1人でやりたい。僕1人で完璧に作れます」と訴え続けた。聞いてみると、それは、別の局でテレビ番組制作の仕事を始めた頃から、ずっと変わらぬ彼のやり方だった( 34回参照)。

S君の教育係に任ぜられていた僕は、さっそくその話を編集長に報告した。すると編集長は数分間、黙って考えてからS君を呼び、こう告げた。 

 「お前に制作してもらう7分のニュースリポートだが、お前1人で作っていいぞ。事情は奥村から聴いた。今回はカメラマンも編集マンも抜きでいい」

もちろん1人で大丈夫です」  「あ、本当ですか!

 「そのかわり、何が何でも予定通り、4日後までに仕上げてくれ。撮影スケジュールも編集スケジュールも決まっていて、今になって変更することはできない。その点、カメラマンや編集マンがいればまだ楽になるはずだし、1人でやるにはかなりハードなスケジュールだけど・・・それでもお前、大丈夫か?」

ありがとうございます」  「はい。このスケジュールでOKです!

S君は泣いて訴えていたのが嘘のような笑顔を見せ、「じゃあ、まずは取材に行ってきます」と言い残すと、そそくさと出て行った。編集長と同僚たちは「ああ、やっとこれで一件落着か」などとつぶやき、ホッとした表情を見せた。 

このままでは済まないんじゃないか?」と思い始めていたのである。 しかし、S君の後ろ姿を見送った僕の心の中には、なぜか黒雲のように嫌な予感が湧き上がってきた。「S君は本当に大丈夫だろうか? 

血走った目で睨みつけられて

S君がニュースリポートの制作に取りかかって4日が経ち、放送当日を迎えた。この日の午前10時までにS君はリポートを完成させ、編集長と、教育係の僕に見せることになっていた。放送は、その日の午後6時からである。 

その日の朝、僕は早めに出社した。隣のS君の席には、カバンが置かれているものの、彼自身は一向に戻ってこない。あいつ、たぶん徹夜で編集を続けているのだろうな・・・と僕は想像した。 

リポートを見せてもらう約束時刻の10分前、つまり9時50分、僕はS君が編集作業をしている部屋を覗いてみた。そして、目を疑った。 

S君は目を真っ赤に充血させ、思い詰めたような表情で編集機にかじりついていた。慌ただしく作業をする両手はブルブルと震えている。

 「えっ、まだできていないのか!」

と僕は叫び声を上げそうになったが、驚きのあまり、言葉が口から出てこなかった。モニターで見える映像から推察すると、おそらく半分くらいしか編集は終わっていないものと思われた。やはり、S君個人がどれだけ秀逸な編集技術を持っていても、1人で、このハードスケジュールで仕上げることはできなかったのだ。 

しかし、おそらくASD(自閉症スペクトラム障害)を抱えているS君は、想定外の出来事に出くわすとパニックになる可能性が高い。もし僕が、ここでS君の仕事の遅れを責めたり叱ったりしたら、すでに制作スケジュールが崩壊したため"テンパって"いるに違いない彼は、一気に感情を爆発させて事態を大混乱させる恐れがあった。それを瞬時に考えた僕は、彼を刺激しないよう、極力穏やかな口調で話しかけた。 

 「お疲れさん。夜通し頑張ってたようだな。手こずってるのか?」

 「・・・」

S君はこちらに背を向けて作業に没頭しながら、何も答えず、振り返りもしない。無視される形になった僕は、さすがに少しムッとしたが、苛立ちを抑えようと努めながらさらに尋ねた。 

昼くらいになりそうか?」  「あと、どのくらいで完成する?

S君は相変わらず、僕の方を振り返ろうとせずモニターを見つめたまま、とんでもない返事をした。完全な棒読み口調だった。 

 「あと15時間かかります」

お前、マジかよ!」  「何だって?

僕は心臓が止まるかと思った。やはりASDを持つ僕も、予想していないことが起こると鼓動が激しくなり、全身から汗が噴き出してくる。このときもまさしくそうなったが、S君の教育係を引き受けている以上、自分は関係ないとしらばっくれることはできない。 

僕は声を震わせ、叫ぶように彼に話しかけた。おそらく、僕の顔面は真っ青になっていただろう。 

編集にあと15時間もかかったら、放送できないじゃないか。わかってるのか?」  「おい、放送は8時間後だぞ!

わかってるに決まってるでしょう。僕だって、そんな子供にもできる計算くらい、ちゃんとできますよ」  「わかってますよ!

一転してこう大声で答えると、S君はやにわに首をクルリと回し、僕を正面から睨みつけた。眼は血走り、突き出した下唇はかすかに痙攣するように震えていた。その迫力にやや気圧されたが、僕も引き下がるわけにはいかない。放送まで残された時間はわずかしかないのだ。 

間に合わないというのは、絶対に許されないことだぞ」  「じゃあお前、放送までにどうやって間に合わせるんだ?

 「そうですか。わかりました。そう言われたら俺、メチャクチャにつなぎますよ。それでもいいんですね?」

ほとんど叫び声だった。しかも、ふだんは「僕」というS君の一人称が、おそらくは無意識のうちに「俺」になっていた。おそらく、完全に気が動転しているに違いなかった。

 「何を言ってるんだ?」

 「メチャクチャに編集するって言ってるんですよ。構成も何も無視して、適当につなぎまくる。奥村さんが言うように、放送までに絶対に間に合わせるんだったら、もう、メチャクチャやるしかないんです!」

その返答を聞いたとたん、なぜか僕は急にスッと冷静になった。あれ、「だったら、もう、メチャクチャやるしかない」というセリフ、最近どこかで聞いたな---と思い、気持ちが冷静になっていったのだ。 

次の瞬間、不意に記憶がよみがえった。そうだった。パニックに陥ったときの息子が、最近、何度も大声で叫ぶ言葉だったのである。 

息子を激高させた「適当な発言」

以前にも記したように、ASDを持つ息子は、すべての行動について、事前になるべく綿密な、ときには1分単位の細かいスケジュールを立てることを非常に好む。そして、そのスケジュールが崩されると、パニックになったり、ひどい苛立ちをあらわにしたり、激怒して泣きわめいたりする。そうなったら、親である僕や妻にもなだめるのが困難で、ほとんど手の施しようがない。 

そんな息子が最近、感情を爆発させるときによく言うのが、「だったら、メチャクチャやるよ」なのだ。僕は、頬の筋肉をピクピクさせて興奮しているS君の顔を見ながら、しばらく前の息子とのやり取りを思い出していた。 

その日の夕方、僕が早めに帰宅すると、息子は自室にこもったまま、一向に出てこようとしなかった。いつもは僕が家に帰ると、とりあえずは顔を見せて何か会話をするのに、どうしたのかな、と少し訝(いぶか)しく思った。 

ただし、何か問題が起こったわけでも、息子が頭痛や発熱を訴えたわけでもなかった。妻に聞くと、感心なことに息子は、夕食が始まる午後7時までに終わらせると宣言して、算数の宿題に取り組んでいるということだった。 

やがて6時55分になったので、僕は息子の部屋へ行って、「あと5分でご飯だよ」と声をかけた。しかし、中からは何も返事がない。やむなくドアをノックして入ってみると、息子は机に向かって、ぶつぶつと独り言を漏らしながら一心不乱に問題と格闘しているようだった。 

もう7時だからご飯だよ」とか「宿題、終わらないのか」などと話しかけてみたが、返ってきたのは「う~ん」とか「ううっ」といった、うなり声のような返事(?)ばかり。あとでわかったのだが、このとき息子はすでに苛立っていたのだった。 僕は「どうした? 

僕は、「ちょっと見せてごらん」と言って、息子が取り組んでいる問題集とノートを覗き込んだ。どうやら、想定していたより問題が難しかったらしく、まだ、4問が手つかずのまま残っているようだった。 

 「もう7時だけど、宿題を済ませてからご飯にしようか。お父さんもお母さんも、終わるまで待ってるよ」

息子は急に顔を上げて僕を見た。その表情には、明らかに感情の激しい波立ちが見て取れた。自分が立てたスケジュールが破綻する寸前になり、彼の心の奥底で、何かがマグマのようにうごめき始めているのだった。 

 「僕はね、7時までに宿題を終わらせてご飯を食べることに決めていたんだ。でも、それができそうにないんだよ」

息子は甲高い声で、わかり切ったことを言った。僕は「そうだね。でも、できなかったんだから、今日は仕方がないじゃないか」となだめたまではよかったが、次に息子の問題集を見て、こう付け加えたのが失敗だった。 

あと4問か。これくらいの問題だったら、15分で解けるよな。よし、7時15分にご飯にしよう」  「何分くらいで終わりそうなの?

僕を見据える息子の視線が、見る見るうちに怒りの色を帯びてきた。彼は「チッ」と舌打ちすると、こう吐き捨てた。

 「15分で終わるかどうかなんて、わからないよ」

もっとかかりそうなのか?」  「ん?

 「あと10時間かかるかもしれない」

僕は思わず笑ってしまった。冗談を言われたと思ったのだ。ところが、息子はニコリともせず、それどころか激高して声を張り上げた。 

お父さんだけじゃなくて、そんなことは誰にも予言できないはずだよ。 お父さんは僕じゃないんだから、わかるはずがないよね?  「ねえ、残りの4問を僕が15分で解けるなんて、どうしてお父さんがわかるの?

残りの問題の内容だって、お父さんはチラッと見ただけで、じっくり読んだわけじゃないでしょ。ものすごく難しい問題かもしれないよ。 

もし僕にとって難しくて、ずっと解けなかったら、10時間くらいかかるかもしれないじゃないか。なのに、『15分で解ける』なんて適当な言い方をするのは、ひどいよ。ひどすぎるよ!」 

こう叫んで、息子は右足の膝を、貧乏ゆすりのように激しく揺らすのだった。 

久しぶりに、息子にキレてしまった

考えてみれば、息子がまくし立てたことは、論理的には完全に正論である。だから僕も、余計な反論などしなければよかったのだ。しかし、僕もやや空腹だったのと、息子の理屈に付き合うのが面倒になったせいで、思わず押さえつけるように言い返してしまい、火に油を注ぐ結果になった。 

 「でも、お父さんは君の勉強をずっと見てきたんだから、どのレベルの問題がどのくらいの時間で解けるかはだいたいわかる。当たり前じゃないか。

その経験があるから、その程度のレベルの問題で4問という量だったら、15分で確実に終わるはずだと考えたんだ。何もひどくない。10時間なんて、極端なことを言ってはいけないよ」 

すると、息子は間髪入れずに切り返してきた。もう、どうやっても制御できないほどの怒りに駆り立てられている声である。 

 「お父さん、僕が言ったことを何もわかっていないね。もういいよ。

そんなに15分で終わらせろって言うんだったら、僕はもう、メチャクチャやるよ。だって、あと15分で残りの問題を間違いなく全部解くには、メチャクチャをやるしかないじゃないか! 

あと15分で終わらせるためなら、そうするしかないんだから」 答えが合ってるとか、間違ってるとか、そうなったらどうでもいいよね? 

今思えば反省するしかないのだが、僕は久しぶりに、息子を相手に"キレて"しまった。いつも「息子にはどこまでも論理的に説明しよう」と心がけているのだが、つい先ほどはうっかりして、感覚的な物言いで彼の意見を封じ込もうとした。それなのに、息子に理屈で逆襲されると、僕はさらに感情的になって、「何が『メチャクチャをやる』だ。いい加減にしなさい!」と大きな声を上げてしまったのだ。我ながら情けない。 

お父さんは僕が嫌いなんだよぅ」と叫んで泣き出した。僕は頭を抱えたくなったが、やむを得ず、「宿題が終わったらご飯を食べよう。何分かかってもいいから、お母さんと一緒に待ってるよ」と、付け焼き刃のように優しい言葉をかけ、食卓に戻った。 息子は即座に「なんで怒るの? 

とりあえず妻に事情を説明し、「30分くらい待って、まだ来なかったら先に食べ始めよう」と提案すると、彼女も「そうね」と同意した。いくら何でも10時間というのは大袈裟だが、先ほどの様子を見ると、問題が息子にとって難しければ、解くのに30分以上かかるかもしれないと思ったのだ。 

ところが息子は、きっかり15分後に食卓に現れたのである。まだ、しくしくと泣いているので、妻が「算数の宿題で解けてない問題があるの?」と聞くと、小声で「全部解いた」と答えた。

僕は「ほら見ろ、15分でできただろう。お父さんが言った通りじゃないか」と口に出しそうになったが、またトラブルになるのも面倒なので、とりあえず黙っていた。息子はその後、一言も口をきかず、泣きながら食事をし、食べ終わると自室に戻って、そのまま寝てしまった。 

才能が凄いことは間違いないが、性格が・・・

S君の話に戻ろう。遅れに遅れていた彼のニュースリポートは、結局、僕が編集を手伝うことになった。まあ、18時の放送に間に合わせるには誰かが手伝うしかないし、教育係の僕の他に、それを引き受ける酔狂な人間もいなさそうなので、やむを得なかった。 

それでも、「絶対に1人じゃなければ嫌です」と断られるかと思ったが、やはり本当のデッドラインが目前に迫っていたせいか、それとも、「自分と似たタイプの奥村さんなら一緒にやってもいいかな」と妥協したせいかはわからないが、彼は急に素直になった。「俺が手伝うよ。そうするしかないだろ」と言うと、「わかりました。お願いします」と殊勝な返事をしてきたのだ。 

少し拍子抜けしたが、S君が頼りにしてくれたのは素直に嬉しかった。僕は「ここがテレビ制作のプロとして、火事場の馬鹿力の出しどころだ」と思って頑張り、何とか5時間後の午後3時にはVTRを完成させ、ギリギリで放送にこぎつけたのである。 

ちなみにS君が自ら撮影した映像は、確かにカメラマン顔負けの見事なクオリティだった。編集のテクニックとセンスも抜群だった。 

 「ニュース番組の7分リポートではもったいない出来だ。彼は確かにいろいろ面倒なところがある人間だけど、才能が凄いことに疑問の余地はないな」

と僕は内心、素直に感心した。インタビューの内容も、S君が自ら語っていたように、まさに完璧な記憶力で、一字一句を完璧に再現することができた( 33回参照)。原稿を作るときも、彼が取材してきた情報の正確性に悩んだり疑ったりする必要は皆無だった。

その日の夕方、S君のリポートを見た編集長と僕は、職場での彼の働き方について話し合った。編集長は、溜め息を吐きながらこう言った。 

 「Sの才能を生かすには、周囲があいつの個性を認めていくしかないんだろうな。Sにかなりの才能があることは、たぶんみんな気づいていると思う。

同時に、性格でいうと、変わり者だけどSに悪気はないし、そのことは俺にはわかっている。でも、その辺をなかなか理解できない奴や、誤解する奴も結構いそうだからな。やっぱり心配だよ・・・」 

僕も同感だった。はたして職場の同僚が、S君の言動を理解してくれる日は来るのか。その前に、彼はまた周囲と軋轢を起こして、辞めてしまうのではないか。編集長と僕の不安だらけの毎日は、今も続いている。 

〈→第36回〉

※この連載は原則として毎週土曜日に掲載されます。