第11話 ミスの指摘がアメリカ人マネージャーとのバトルに発展
2015年10月13日
チェリーのカートン箱には、チェリーの品種、サイズ、ロット番号、向け地などがインクジェットで表記されている。
パッケージング(箱詰め)の際、カートン箱にバーコードラベルを貼り、インクジェット機がそのバーコードを読み取って、製品ごとの情報をカートン箱に印字する。
インクジェット係は、インクジェットの機械にこれらの情報をプログラムしたり、オーダーの数量や生産数に合わせてロット番号の切り替えをしたりする。
その他に、インカムをつけて無線で生産量やラインの様子をアメリカ人のマネージャークラスに報告するという業務もあるので、他のワーカーと同じメキシコ人でも、英語が流暢でシステムの操作ができる、若手の準チーフクラスのワーカーが男女ペアで担当していた。
ラインに並んで単純作業をしている他のメキシコ人ワーカーより、一段高いポジションにいるという自負からか、インクジェット係のワーカーは、他のラインワーカーよりややとっつきにくい雰囲気を持っていた。
インクジェット印字のミス
ある日、カートン箱の中身とは異なるチェリーの品種名が箱に印字されるというミスが発生した。
アメリカンチェリーには、ビング、ブルックス、チュラーレ、シュラン、ガーネット、レーニアなど様々な品種があり、シーズンの中でも収穫の時期が微妙に異なる。
ところがその日、もうシーズンが終わって入荷がないはずの品種名が印字されたカートン箱がベルトコンベアを流れてきた。
幸い、印字ミスがあったのは、1種類の製品だけだったが、気がついたのはパレッタイズのセクションにその製品が流れてきてしばらくしてからだったので、すでに間違った印字のカートン箱がパレットに数十箱積まれていた。
箱詰めをしてカートン箱を閉じ、印字をしてしまったら、中身のチェリーと印字の品種が合っているのかどうかは簡単には分からない。そのまま気づかずに出荷されてしまうリスクもある。
はるばる空港までトラックで運び、飛行機に載せて、客先に届いてから、実は中身が違いました、ではすまされない。
私は、急いでインクジェットのセクションに走り、インクジェット係の女子ワーカーに印字ミスの件を伝えた。
彼女は、ずっとインクジェット機の隣についていたにも関わらず、私が伝えに行くまで、ミスに気がついていなかった。
ひとくちにアメリカンチェリーと言っても、品種がいろいろとある
普通なら(少なくとも私が他の生産工場で見てきた限りでは)、製造指示書などの内容に従ってインクジェット機に表記内容をプログラムした後、何度かトライアルの印刷をして、表記の内容やインクのコンディションを確認してから本生産をスタートさせる。
製造現場を知っている方ならおわかりだろうが、それがごく一般的な当たり前の手順で、そうした手順をきちんと踏んでいれば、こんなケアレスミスは発生しないはずだ。
けれど、このチェリー工場では、トライアル印刷や指示書との照らし合わせなどはなく(もしくは、手順が徹底しておらず)、当然のようにミスが発生した。
タイミングの悪いことに、この時生産ラインはフル稼働で、箱詰めされたカートン箱が絶え間なくベルトコンベアの上をひしめき合って流れてくる。
ここでインクジェット機を止めたら、あっという間にインクジェット機の手前でベルトコンベアからカートン箱が溢れ落ちてしまう。
仕方がないので、次の休憩時間にラインが止まるまで、間違った印字のまま製品を流し、一旦、製品をパレットに積み上げて、後からまとめて全部ステッカーを貼って修正する、ということになった。
つまり、また、パレットに積まれたカートン箱の上げ下ろし作業をするのだ。
場合によっては、例の極寒のクーラー(冷蔵倉庫)の中で。ステッカー貼りの時は、手袋をしていると作業ができないので、素手でやる。約0℃のクーラーの中だ。あっという間に指先がかじかんで、動かなくなる。その指を無理やり動かしながら作業をするのだ。
インクジェット機をすぐに止められないのもわかる。
だからと言って、この状況を野放しにしておくことはできなかった。 これまでにもインクジェットのミスや不良は何度となくあったが、まずはパレッタイズや封印テープ貼りの工程から徐々に改善しようと思っていたから、この時までそれほど強くミスや不良について追求したことはなかった。
システムが絡んでいたり、インクジェット係のやや高飛車な態度も、インクジェット工程への“手入れ”が遅れた理由だった。
けれど、ここで発生したミスをフォローするために、極寒のクーラーの中で修正作業をし続けるのは、時間と労力のムダ使いだということに代わりはない。
そろそろやらなければ。
さぁ、火蓋を切るぞ
私はインクジェット係の女子ワーカーに
「どうしてこんなミスが起きたの?」
と尋ねてみた。
最初のプログラムの入力を間違えたのか、それともシステムにバグが発生したのか。再発を防ぐためにも、今回どうしてこのようなミスが起きたのか知る必要があった。
“普通”の手順でやっていれば、起こるはずのないミスだ。
ところが、彼女は悪びれた様子もなく
「もうしないから」
とだけ、サラリと返してきた。
でも、「もうしない」と言って、本当に「もうしない」ことなどまずない。
もう一度、なぜミスが起きたのかと聞くと、彼女は
「なんで起きたのかなんて知らないけど、もうしないって言ってるんだから、それでいいでしょ!」。
と声を荒げた。
そんな子供みたいな返事が返ってくるとは思わなかったから、一瞬面食らったが、
「理由がわからないのに、どうして“もう起きない”なんて言えるの?
理由がわからなかったら、対処のしようがないでしょ?」
と、私は極力笑顔で、話しかけた。でも、その笑顔はかなり引きつっていた。
準チーフクラスのワーカーが、こんな考え方だから、私たちの極寒のクーラーの中での夜中まで続く肉体労働は、なかなか楽にならないのだ。
本来ならやらなくてもいい作業のために、疲弊する。
ここでCAPA(Corrective Action & Preventive Action: 是正処置および予防処置)の講義を始めようなんて気は全くないし、彼女のミスを責め立てる気もない。
ただ、一緒に問題意識を持ってもらいたかった。
「なんでこんなミスが出たんだろう?」と考えて欲しかった。
けれど彼女は
「もういいでしょ!」
と不機嫌さ全開で、顔を背けた。
おそらく、今までこんな質問を受けたこともなかったのだろう。
単に自分のミスを責められる“尋問”に感じたのかもしれない。
すると、そこに品質管理のマネージャーがやってきた。
背の高い白人のアメリカ人で、今まで工場内で何度か顔を合わせたことはあったが、正直、最初からあまり好意的な印象ではなかった。
彼は私に近づくなり、
「そんなこと、直接ワーカーと話すな!」
とかなり強い口調で言ってきた。
「そもそも通訳ごときのオネェちゃんが口を挟むことじゃないし、勝手にワーカーに指導や指示をするな、品質に関してのことは品質管理マネージャーである自分が担当する」というのが彼の言い分だった。
確かに、指示命令系統を考えれば、彼の言い分も正しい。
けれど、「それもそうですね」と言って引き下がれるほど、私は大人しくなかったし、納得もしていなかった。
これまで、封印テープやインクジェット印字のコンディションがいい加減なまま、当たり前のようにパレットに積まれてきたことを見れば、どう考えても、今まで彼が“品質管理”の仕事をきちんとやってきたとは思えない。
これは徹底的に話すいい機会だと思った。
「じゃぁ、あなたに聞くわ。ミスの原因はわかったの?」
これが火に油をさす。
「だからっ!!なんであんたにそんなこと言われなきゃならないんだ!!
関係ないだろっ!!」
品質管理マネージャーは顔を真っ赤にして怒り出し、私も負けじと
「関係ない?じゃあ、誰がこの後始末をすると思ってるの?」
と、キッと顔をあげて、言い返した。
あたりは一気に険悪なムードになった。
第12話 国際ビジネス社会のリアルな “女性差別”
2015年10月27日
「だからっ!!なんであんたにそんなこと言われなきゃならないんだ!!関係ないだろっ!!」
と、顔を真っ赤にして怒り出す品質管理マネージャーに、
私は
「関係ない?じゃあ、誰がこの後始末をすると思ってるの?」
と、食いついた。
ラテンの血が騒いだ。
この機会に、しっかり言いたいことは言わせてもらおうと思った。
どんな“品質管理”をしているんだか知らないが、これまでのラインの作業を見ている限り、その“品質管理”はあまりにお粗末だった。
あたりは一気に険悪なムードになり、火花が散った。
さぁこれから戦いが始まるぞ!
という、その時。
「まぁまぁ、まぁまぁ…」
と割って入ってきたのは、駆けつけてきた西海岸カーゴ社(仮名)の社長だった。
社長は、品質管理マネージャーに向かって、
「すみません。Miwaは仕事熱心なもので。悪気はないんです」
と謝り、
「ここで言い争いしても仕方ないだろう」
と、私をなだめて、その場をおさめた。
ものすごいケンカに発展するんじゃないかと期待していた読者には大変申し訳ないが、確かにここで品質マネージャーと口論になるのは得策ではない。
ラインのワーカーたちともそうしてきたように、マネージャークラスとも友好的な関係を築いて、協力してもらえなけなければ、業務改善は成功しない。
しかも、私は、私個人でチェリー工場に来ているわけではない。
私が問題を起こせば、西海岸カーゴ社に迷惑をかけることにもなる。
一旦、西海岸カーゴ社の事務所に戻り、私は社長にも謝った。
「ご迷惑をおかけしてすみません。焦り過ぎました」
チェリーの期間は約1カ月半〜2カ月間。
私が業務改善に着手してからすでに3週間が経っていた。残り時間は少ない。
ゆるりゆるりと上手く入り込まなければ…と思っていたのに、つい気が急いた。
「気にしなくていいよ。焦る必要もない。ここまででもすごくよくなっているよ。でも今回のことはMiwaちゃんらしくないな。いつものMiwaちゃんの“武器”を使わないと〜」
と、社長は笑顔で励ましてくれた。
そのまま社長と一緒に、街に差し入れのドーナッツを買いに行った。
チェリー工場内では、差し入れが“潤滑油”としてよく使われていた。
何かあると、お互いに差し入れを届けて、感謝やお詫びの気持ちを伝える。私たちのところにもよくシェイクやピザなど、差し入れが届いた。
1ダース入りのドーナッツを2箱買って、改めて品質管理マネージャーのところに謝罪に行った。
「さっきはごめんなさい。あなたの言う通り、直接ワーカーに改善策を聞いたのはいけなかった。
でも、それも工場のことを思うからこそ。一緒にいいブランドを作りあげていきたいと思ってるの。
あなたひとりで、こんな広い工場全体の品質を見ているなんて大変だっていうのもわかる。私もお手伝いするから」
もしかしたら、無視されたり、さらに怒られるかもしれないという覚悟で行ったが、品質管理マネージャーは、笑顔でドーナッツを受け取ってくれた。
「僕も悪かった。でも工場や顧客が気にするのは、まずサイズや見た目、チェリーそのものの品質なんだ。梱包のことなんて今までそんなに言われたことなかったし。
それをいきなりズバっと言われたから、ビックリしたし、カチンときたし…。でも確かに梱包も今のままでいいとは思ってない」
確かに、今まで梱包の品質について指摘してきた人なんていなかっただろう。だからこそ西海岸カーゴ社のスタッフは、毎年憂鬱になりながらも梱包不良の修正を続けてきたのだ。
きちんと話せば、お互いの事情もわかり合えた。
最後はハグをして仲直りし、結果的に私は品質管理マネージャーとも急速に距離を縮めることができた。
最初はとっつきにくい感じのマネージャーだったが、この事件以降、見かければ遠くからでも手を降ってくれたり、声をかけて笑顔で挨拶をしてくれるようになった。
無愛想な人だと思っていたけれど、笑えば結構かわいいお兄さんだった。
女性とはビジネスをしない男たち
実は、品質管理マネージャーがあんなに顔を真っ赤にして怒ったのには、理由があった。
単に管轄外の人間に口出しされたから、だけではない。
もし、指摘をしたのが私ではなく、西海岸カーゴ社の社長だったなら、あそこまで一気に沸騰することはなかっただろう。
問題は、“ラテン系”の“通訳”の“おネェちゃん”に、アメリカ人男性のマネージャーが、部下の“メキシコ人ワーカーの前”で指摘を受けた、という場面設定にあった。
アメリカ人社会にメキシコ人あるいはヒスパニック系の人を低く見る傾向があることは以前お話した。
マネージャーが、通訳ごとき立場の人に注意されるのが気に入らないのもわかる。
そこに加えて“おネェちゃん”だ。
中には目くじらを立てて、男女平等を叫ぶ人もいるが、私は“男女不平等”が自然だと思っている。身体のつくりからして違うのだから、平等なわけがない。
男女が同じでは、全く面白くない。2種類いる意味がない。
ラテンアメリカには、“マチスモ(男性優位主義)”の文化がある。
たまたま“マチスモ”と定義する言葉があるから、ラテンアメリカでは男性優位の文化が特に強いのかと思われがちだが、ヨーロッパでも、中東でも、アジアでも、それこそ日本にだって、男性優位の文化や意識はある。
以前、私は某医療用具メーカーで営業部長をしていたことがある。
製品のほとんどは海外市場向けで、顧客もヨーロッパ、北米、中南米、中東、アジアと、世界中にいた。
私が決裁権のある部長職にあるにも関わらず、「女性とはビジネスをしない!」と、最終的な契約や価格交渉は全てうちの社長(男性)としかやりとりをしなかった外国企業はいくらでもある。
そんな外国企業も、みんな表向きは優しい。
通常のメールや電話のやりとりは普通に返してくれるし、会えば笑顔で出迎えてくれ、仲良くお喋りもする。出張時には荷物を持ってくれたり、車のドアを開けてくれたり、コートを着せてくれたり、好みの食事を用意してくれたり。礼儀正しく、エスコートもバッチリだ。お誕生日にメッセージカードやプレゼントを用意してくれたりもする。
海外の展示会などで、ユーザーや取引先と会った時には、「セールスマネージャーのMiwaだよ。彼女は本当に素晴らしい」などと褒め言葉をつけてきちんと紹介もしてくれる。
けれど、本当に最後の価格や条件の交渉や契約は、“女”とはしない。
ホテルから空港に向かう際、うちの社長と私を別々の車に乗せて、その車中で社長と契約を決めてしまうとか、私から送ったメールでも、重要事項であれば返事は社長のところに届くとか、そんなことはよくあった。
そういった女性に対する“差別”は、私に対してだけではなく、相手側の外国企業の社内でも同じだった。
中東やアジア諸国はもちろん、差別やハラスメントに敏感なアメリカやヨーロッパでさえも。
女性社員は重要なミーティングには同席させてもらえないとか、一定の肩書き以上のポジションにはつけないとか、そんな話はいくらでもあった。
「そもそも女性にビジネスができるわけがない」と、秘書も含めて側近は全て男性だけで固めている男性社長もいた。
ある社長は「どうせ雇うなら美人。なんでブスに金を払って側に置いておかなきゃいけないんだ」などと、セクハラで訴えられそうなことを公言していた(ちなみに、その社長の秘書はかなりの美人でモデル並みのスタイル、かつ有能だったし、秘書自身もその容姿を“ウリ”にしていた)。
いずれにせよ、ビジネスの大事なところには、女には絶対口を挟ませない、というスタンスがはっきり見えた。
そういう考え方や対応に、いちいち
「女だからって馬鹿にしないでくださいっ!!」
なんてガミガミしたところで余計なストレスが溜まるだけだ。
幸い、私の上司だった某医療用具メーカー社長は海外生活も長く、そのあたりの国際感覚はよくわかっている人だったから、営業部長の私をスルーして社長に直接交渉がいってしまっても、
「お前がしっかりしてないから、こっちに話が回って来るんだろ!」
なんて見当はずれなことを言うこともなく、粛々とそれに対応し、男性社長のやるべき仕事をしていた。
女性を営業部長にした時点で、覚悟していた展開なのだ。
いいとか、悪いとかではなく、こういう差別や固定観念、文化があることは事実だ。 大切なのは、それを考慮しながらいかに行動するかということ。
女性には女性の“武器”があって、女性なりのやり方がある。
もっと言えば、男性か女性かに関わらず、それぞれ個別の能力やそれを活かした役割がある。
“ニコっと笑って、プリーズ”が通用するのも、メキシコ人の中にスッと入り込めてしまうのも、言いたいことが言えるのも、間違いなく私の“武器”だ。
“笑顔”の素敵な女性ワーカーたちと。これが女性の“武器”
第13話 マネージャー層の“権威”を守りつつ現場を巻き込むワザ
2015年11月10日
性別や国籍にも配慮しなければならない中で、アメリカ人男性のマネージャーが“ラテン系”の“通訳”の“おネェちゃん”である私に、部下の“メキシコ人ワーカーの前”で指摘を受けているシーンというのは、あまり好ましくない。アメリカ人男性のマネージャーからしてみたら、面目丸潰れだ。
実は、部下の前で“通訳”の“おネェちゃん”に注意を受けたり、指図されるのを嫌がったのは、品質管理のアメリカ人マネージャーだけではなかった。
私がパレッタイズの業務改善に着手して間もない頃。
私はパレッタイズのメキシコ人チーフに、封印テープやインクジェットのコンディションのことであれこれ注意をした。
すると、メキシコ人チーフは、私の話を途中で遮り「まぁまぁ」と私の肩を叩きながら、工場の片隅に連れ出して、こう言った。
「Miwaの言うことはもっともだと思うけれど、部下の前でオレに注意するのはやめてほしい。
チーフとしての権威が失われる。
権威がなくなれば、部下は私の言うことを聞かなくなる」
そこそこの“利益”が効率や品質改善の邪魔になる
よく、「部下を叱ったり、注意をするときは、人前ではなく、こっそりと人目につかないところでやること」と言われたりするが、私があえて、他のワーカーたちの前で、マネージャーやチーフに注意をしたのは、私なりの意図があった。
パッキングやパレッタイズのセクションに限らず、そもそもこのチェリー工場は全体的に業務の効率や品質改善に対する意識が薄かった。
“どうせ単純労働だから…”、“どうせメキシコ人ワーカーだから…”という先入観もあるが、それに加えて、そこそこ利益があったのが問題だった。
アメリカンチェリーのシーズンは1年の中で、たった1カ月半〜2カ月間。けれどその短期間に、工場の年間収益のかなりの部分をチェリーで稼いでいた。
このチェリー工場に限らず、業務の効率化や品質改善を特に気にしなくても、そこそこお金が入ってきている企業では、改善や現状打破という意識が低くても仕方がない。
「このままではいけない」と思ってはいても、本当にお尻に火がつかないと、動き出せないものだ。
インクジェットの印字のミスが出ても、あとから人手を使って、カートン箱を差し替えたり、ラベルを貼り換えたりすればいいだけで、労働力や材料費、つまりお金と時間をかければ、どうにかなる。
最悪、不良品が客先に届いてしまったとしても、謝罪メールを送り、代替品を送ればいいだけのことで、場合によっては、プラスアルファのおまけをつけたり、ちょっと値引きしてあげたりすればいいのであって、これもお金と時間をかければどうにかなる。
ある程度の取引量があったり、ビジネスが固定化、習慣化していればなおのこと、ちょっとやそっとの不良やミスでは、即取引中止ということにはならないから、余計だらだらとそのままの状態が続く。
現場は、とりあえず目の前の業務をこなすだけで精一杯だし、とにかく1カ月半、日々の業務をこなしていればどうにかなる。ある程度稼げてしまうのだ。
それ以上、何かをする必要性は感じないだろう。
ミスの埋め合わせをするだけのお金と時間がある限り、業務の効率化や品質改善に真剣に取り組むことは難しい。
マネージャーやチーフが本気でなければ現場を巻き込めない
仮に、私がマネージャーとチーフクラスの人だけに、品質改善と業務効率化の話をして、だから今のままのやり方ではダメなのだと、改善策の指示を出したとしよう。
それを受けて、マネージャーやチーフが、突然ワーカーたちに対して、「もっと品質に気を配れ」だの、「業務の効率化を考えろ」、「やり方を変えろ」と言ったところで、言われたワーカーの方は、「ぽっかーーーーーーーん…」である。
「なんでいきなりそんなこと言い出すんだ」「今までそんなこと言わなかったじゃないか」「余計な仕事を増やすな」「それをやったら、いくら給料が上がるんだ」そんな声があがるだけだ。
残念ながら、マネージャーもチーフも、そんなワーカーたちの質問に対して、なぜそんな変化が必要なのかを、きちんと説明することはできないだろう。
彼ら自身も今まで通りやっていればいいと思ってきた人たちだ。
この先に起こるであろう変化がなにをもたらしてくれるのか、変化による摩擦や逆風に立ち向かうほどの価値があるのかどうか、そもそも改善だの効率化だのをする必要があるのかどうか…
きっと、頭の中はぐるぐる回るだけで、思考停止状態だ。
よほど頭のいい人か、ツボにハマった人ならともかく、普通ならちょっとの説明を受けたくらいで、すんなり人を巻き込めるほどの行動力は発揮できない。
そんな彼らに、ワーカーたちをまとめたり、促したり、指導したりして業務を改善することができるだろうか。
私がワーカーたちの前で、マネージャーやチーフに品質や業務の改善の指導をすれば、マネージャーやチーフには“建前”や“言い訳”ができる。
ワーカーたちから「なんで急に細かいことを言い出すんだ」と言われても、「Miwaに言われてるから、ちゃんとやらないとオレが怒られる」とでも言って、促すことができる。
ワーカーたちも、「そういえば、なんかMiwaに注意されてたなぁ…」と思い出し、「じゃぁ、やるか」ということになる。
当然それは、私に対するワーカーたちの“信頼”があって初めて成り立つものだ。
少なくとも、それまで私が一緒にラインに入って作業をし、実際に少しずつ作業が楽になったり、ミスが少なくなったり、現場の雰囲気がよくなったりしてきているから、「Miwaの言っていることなら、まぁ何か意味があるんだろう。やっておいて損はないだろう」と思ってもらえるのだ。
チーフが、「自分の権威が失われるから部下の前で注意するのはやめてくれ」と言ってきた時、私は
「わざとみんなの前で言ったのよ。
私を“建前”や“言い訳”にしてうまく利用すればやりやすいでしょ?」
と提案した。
その言葉を待ってましたっ!
実は、まだこの頃は、チーフは品質や業務改善にはそれほど前向きではなかった。それこそ「余計な仕事を増やさないでくれ」という気持ちがところどころ態度に出ていた。
「“自分の権威が失われる”のはもちろんだが、みんなの前で指導されてしまったら、本当にやらないといけなくなる。そんな面倒なことになってもらっては困る」。
おそらくそれがチーフの本音だった。
だからチーフは
「大丈夫、Miwaを言い訳になんかしなくても、オレからみんなに言ってやらせるから」
と返してきた。私は
「じゃぁ、任せるからね。頼んだよ。何か助けが必要だったら言ってね。」
と笑顔で返した。
笑顔の中に、心の中の“にやり”が出ないように気をつけながら。
ここまで言ってもらえたらこっちのものだ。
私が欲しかったのは、チーフ自らの「自分が責任をもってチームを動かします」という言葉。
例えそれが彼にとっては、その場しのぎの“建前”だったとしても、私からすれば、「あなたが、自分でやるって言ったんだよね?」と、あとから彼にプレッシャーをかけることができる言葉なのだ。
できれば、本人が本当にやる気になるまで待ちたい気持ちもある。
けれど、約1カ月半である程度の成果をあげなければいけない状況下では、時に半強制的に行動を仕掛ける必要もある。
大事なのは、あくまで本人たちが“自発的”に動いているという印象。
自分の意志でその道を選んだ、決めたという設定にすること。
「私の指示通りにやりなさい!」では、抵抗や摩擦が起きるばかり。 だから、「あなたの言うとおりに、私はあなたに仕事を任せましたよ。お願いしますね、頼りにしてますよ〜」という、一見優しそうな、でも逃げ場のない流れでもっていく。
チーフやマネージャーの権威は大切だ。守ってあげなければいけない。
男のメンツも潰してはいけない。
男たるもの、頼られていると思えば、結構張り切るものなのだ。
第14話 同じ目線に立たなければ理解できない
2015年11月24日
クーラー(冷蔵倉庫)やパレッタイズ、それにテープ貼りやインクジェットのセクションなどは、ほとんど男性ばかりの現場だったが、その前工程では女性ばかりが作業をする選別のセクションがあった。
周辺のチェリー農家から納入されたアメリカンチェリーは、夜中のうちに燻蒸され、翌朝から洗浄、選別作業に入る。
工場に納入された時は、小枝や葉、傷んだチェリー、まだ熟していない黄緑や白色のチェリーなども混じっているし、チェリーのサイズもバラバラだ。
燻蒸から出てきたチェリーは、一度大きな水槽の中に入れてざっと汚れを落とした後、水の流れるラインを通って最初の選別工程に入る。
選別工程では、ベルトコンベアの両サイドにメキシコ人女性のおばちゃんワーカーが並んで立ち、手作業で葉や傷んだチェリーを取り除いていく。
ベルトコンベアに沿って、緑、黒、赤、白のダストボックスがあり、それぞれ、小枝や葉用、腐っていて廃棄になるチェリー用、ちょっと傷んでいるけれどジュースやジャムの加工用としては使えるチェリー用、2つの実がくっついた双子のチェリー用、まだ熟していないチェリー用などと分かれていた。
選別のおばちゃんたちは、ベルトコンベアを流れるチェリーの川の中から、傷んだチェリーやゴミを取り除いては、どんどんボックスに投げ入れていく。
この工場の生産ラインには、選別の工程が2つある。
最初の選別は、大きな水槽で洗われたチェリーが、まだ小枝や葉っぱと一緒になって流れてくるライン。
小枝や葉っぱはもちろん、大きく傷んだチェリーもどんどん取り除いていく。最初の選別工程なので、廃棄になるチェリーの量も多く、時には両手ですくってどっさりダストボックスに入れなければならないこともある。細かい選別作業はまだこの先にあるので、ここでは大きなゴミや不良をできるだけ取り除けばいい。
第1の選別が終わると、残った質のいいチェリーはまた水の流れるラインに乗って、チェリーをサイズ別に分ける大型のセンサーに入る。
センサーは、サイズ分けと同時に多少の不良もはじくことができる。第1の選別で取り除けなかった双子ちゃんや、割れのあるチェリーはここで分別される。
ただ、センサーの処理能力にも限界があるので、センサーが拾い切れなかった小さな割れや傷みのあるチェリーを、2回目の選別で丁寧に人間の目で見て手作業で取り除いていく。
海外マーケット用に出すチェリーは、傷のないきれいなものしか出荷できない。
逆に、小さな傷みであれば、輸出用には使えないが、B級品や加工品用として国内マーケットに出荷することができる。
おばちゃん達とのお喋りで情報収集
チェリーをベルトコンベアの上で優しくころがしながら表面の全体を見て、素早く傷み具合をチェックしながら、どんどん分別のダストボックスの中に入れていく。
一日中立ち仕事で、ひたすら目と手先を使う仕事だったが、私はこの作業が大好きだった。
選別のラインに入っていると、みんなに何度も「選別楽しい?」と聞かれた。私はその度にいつも笑顔で「楽しい〜!」と答えた。だって本当に楽しかった。
私にとってそれはまるでゲームと同じだった。どんどん流れてくる悪玉チェリーを、1つでも多くゲットするゲーム。黙々と作業をしているうちにあっという間に時間が経つ。
楽しいだけでなく、選別をしながら全体のチェリーのコンディションを見れば、出荷量の目安もつくし(当然、全体的に傷んでいるものが多ければ、輸出用のチェリー量は少なくなる)、シーズン中のチェリーの品種の移り変わりも感じ取ることができる。
そういう意味でも、選別の作業は興味深かった。
チェリーシーズンも後半になって、パレッタイズのセクションに付きっきりでなくてもよくなってくると、私はクーラーやパレッタイズでの仕事の合間をぬっては、選別のセクションに顔を出し、作業に加わった。
一日中立ち仕事で、ひたすら傷んだチェリーを拾う作業がなんでそんなに楽しいのか、選別のおばちゃん達には理解できないようだった。
でも、隣で楽しそうに仕事をする仲間がいたら、なんとなく自分も楽しくなるはずだ。
理由やきっかけはなんであれ、自分が「こんなつまらない単純作業…」「立ちっぱなしでツラい」と悲観していた作業に、何かしら“楽しい要素”が含まれているのだと思えるだけで違う。
日が経つに連れ、明らかにおばちゃん達の表情は明るくなっていった。
選別のおばちゃん達とは、いつもいろんなお喋りをした。
パレッタイズのワーカーたちにしたのと同じように、「日本にはアメリカンチェリーがないから高級品なんだよ」とか「日本の大手のスーパーと取引が始まったから品質に気をつけてね」という話もしたが、元々がお喋り好きのラテン系のおばちゃん達の集まりだ。すぐに次々と話が盛り上がる。
「あそこのチェリー農家はいつも品質が悪いのよ。葉っぱや枝がいっぱい混じってて。かさをごまかしてるんだわ。」
「○○さんがチーフをやってた時は、もっと私たちを気遣ってくれて。
こんなおばちゃんの私たちのことを、いつも“お嬢ちゃんたち”って呼んでくれて。楽しかったんだけどねぇ」
そこにはちょっとしたワーカーの本音だったり、コミュニケーションや業務の改善になるヒントがちょこちょこ隠れていた。
私が日本人だと言いながら、ネイティブ並みにスペイン語を話すものだから、「日本もスペイン語なの?」と聞かれたこともある。
私を見て、“日本人”とはこういうものだと思われてしまったら、大変な誤解を招いてしまうと、やや責任を感じたこともあった。
工場で働くワーカーたちは、実は恋人同士や夫婦だったり、兄弟や親子だったりという人たちも多かったから、セクションが離れていても、私の噂はすぐに広まった。
パレッタイズやテープ貼りのセクションで私がどんな働きをしていたかも、選別のおばちゃんたちは知っていた。
意外とすんなり選別のセクションに入り込めたのは、その“前評判”のおかげだったかも知れない。
上からでも見下ろさない
洗浄から選別にかけてのセクションの上には“空中通路”があり、マネージャーたちが、上から全体を監視していた。全体を見渡すことができて、トラブルがあればすぐにわかる。
ある日、選別のおばちゃんたちと並んで一緒に作業をしていると、おばちゃんの一人から
「Miwaは下に降りてきてくれるのね。
他のマネージャーたちは上から見下ろしているだけで、下には降りてこないわ。
だからMiwaは、他の人とは違うと思う。」
と言われた。
実際にワーカーと同じ目線に立って、同じ作業空間に立ってみなければ、ワーカーたちとコミュニケーションを取ることも、その仕事を理解することも、新しい発見をすることもできないと思っていたから、私にしてみれば、一緒にラインに立って作業をするのはごく自然なことだった。
選別のおばちゃんたちから仕入れた様々な情報は、上の空中通路から見ていたのでは計り知ることのできない、同じ目線に立っていなければわからないことばかりだった。
けれど、確かにマネージャークラスが作業場に降りてくることはめったになかった。
そこには自然と見下ろす者と見下ろされる者の位置関係ができてしまっていた。
確かにラインの制御システムなども空中通路上にあったし、業務上、マネージャー層が全体を一望できる場所にいることは大切だ。
別に威圧感を与えようとして見下ろしているわけではないだろう。
けれど物理上、やはりワーカーたちに“見下ろしている”という印象を与えてしまいがちなのも事実だ。
私も空中通路の上からライン全体を見学したりすることはあったが、なるべく“見下ろしてる”感が出ないよう、ワーカーと目が合えば笑顔で返し、時に手を振ったり、声をかけたりした。
“見下ろしてる”のではなく、“見守ってる”と思ってもらえるよう、同じ目の高さにいる時より意識して、優しい視線を投げかけた。
第15話 2年目のチェリーシーズン、いきなり壁にぶち当たる
2015年12月08日
2013年5月に初めて足を踏み入れたカリフォルニアのチェリー工場。
約1カ月半のチェリーシーズンはあっという間に終わった。
ロサンゼルスで通訳の仕事をするのだと思って来たら、実はロスから500キロメートル以上も離れた、辺り一面チェリー畑しかないド田舎に送り込まれ、“通訳”の仕事だと思っていたら、脳ミソも凍るような0℃のクーラー(冷蔵倉庫)の中で夜中まで肉体労働が待ち構えていた。
私がチェリー工場の業務改善に着手したのは、西海岸カーゴ社(仮名)やチェリー工場から特に依頼があったわけではなく、単に自分の業務を楽にしたかったから。
そもそも私の役目は、通訳として、西海岸カーゴ社の日本人スタッフと、一緒に出荷作業を行うメキシコ人フォークリフトのドライバーたちとのコミュニケーションを円滑にすることだった。
まさか、クーラーの中で夜中まで肉体労働をすることになるなんて想像もしていなかったし、自分の持ち場のクーラーだけでなく、他セクションにまで足を伸ばして業務改善をする予定など全くなかった。
ただ、いざ現場に入ってみたら、そのあまりのムダな作業の多さ、連帯感の悪さにビックリして、我慢できなくて、ワーカーたちの仕事に対する意識を変えようと動き始めただけだった。
それぞれの現場のワーカーたちと一緒に作業をしながら親しくなって、本来の作業のあり方を説明したりしていくうちに、不良やミスも少なくなり、作業効率も上がり、現場の雰囲気もよくなっていった。
ワーカーたちもそれを実感してくれていたから、私を受け入れてくれたのだと思う。
でも、残念ながら品質や作業効率の向上などを証明できる“数値データ”がなかった。
笑顔あふれるワーカーたち。シーズンが終わる頃には、現場の雰囲気も変わった。
証明できない功績
最初の頃から比べれば明らかに不良の数は少なくなり、パレットに積まれたカートン箱の不良やミスを修正するために、クーラーの中でパレットを崩してはカートン箱を上げ下ろしするというムダな作業の割合は減った。
けれど、それはあくまで“感覚”の話であって、比較できるデータがあったわけではない。
チェリー工場の社長やマネージャー層は、業務の効率や品質改善に対する意識が低く、特に梱包や出荷に関わる業務についてはほとんど無関心だった。
確かに、出荷業務に関しては西海岸カーゴ社に委託しているのだから「金は払ってる、後はそちらに任せた」という気持ちはあるだろう。
しかし、外装や梱包の不備でクレームが発生した場合、その処理やコスト負担をするのは西海岸カーゴ社だけではない。当然工場側にも影響は出る。むしろ一番被害を被るのは工場だ。
にも関わらず、驚くほどその意識は低かった。
今までそのコストを意識しなくてもやってこられたというのは、ある意味、羨ましいことなのかもしれないが。
営業の売上データを見れば、代替品の出荷コストや、クレームによる割引率などの数字は探せたのかもしれないが、特にそういったデータを分類したり、集計している様子もなかった。
西海岸カーゴ社も同様に、日々の出荷業務をこなすのが精一杯で、どんな不良がどれほど出ていたかなどを記録する余裕もなく、その必要性も感じていなかったようだ。
業務改善をしたことで、「不良率が下がった」、「クレーム処理のコストが下がった」など、わかりやすく数値で表せればいいのだが、なにせ前年までのデータや比較するものがなにもない。
関心がないのだから、そんな記録などとっていないのだ。
2013年のチェリーシーズンを終えたとき、心残りだったのが、具体的なデータで結果を表せなかったことだった。
西海岸カーゴ社の社長やスタッフ、チェリー工場のワーカーたちやマネージャー層からも「一緒に仕事ができてよかった」「新しい世界が見えた」など、嬉しい言葉をかけてもらったが、できることならそれを何かしらの数値で証明できたなら、ワーカーたちも“感覚”だけでなく、自分たちの力にもっと自信がもてるようになったのではないかと思った。
実証データはなくても、それなりの変化や功績を感じてくれたのか、翌2014年のチェリーシーズンが近づくと、また西海岸カーゴ社の社長から「今年は本格的に業務改善やワーカーの教育をやって欲しい」という依頼が来た。
2年目に要求した3つの条件
私が業務改善をしていく上で、苦労したことのひとつに「“権限”がなかった」ことがある。通訳として入った私には、業務改善に関してあれこれ指摘したり、行動したりする“権限”がなかった。
現場の作業を手伝いながら、ちょこちょこやっている程度なら構わないが、それ以上のことをしようとすると、一部のマネージャーやチーフたちから「何の権限があって、そんなことを言うんだ(やるんだ)」という視線が飛んできて、私も動きにくいところがあった。
その理解を得るために、最初の年の2013年はゆるりゆるりと少しずつ現場に入っていったのだが、その過程でかなりの時間を費やした。
もし、本格的に業務改善に取り組むのであれば、今回はそこで数週間を使っている暇はない。
2014年度の仕事を引き受けるにあたり、私は西海岸カーゴ社に3つの条件を出した。
①通訳ではなく、業務改善のアドバイザーとして現場に入ることを、西海岸カーゴ社内はもちろん、チェリー工場側にも周知し、業務に必要な権限をくれること。
②チェリーシーズンが始まってラインが稼働する前に、工場のワーカーに対する研修を2〜3時間でもいいから実施させてくれること(特にテープ貼り〜パレッタイズのセクションのワーカーに対して)。
③私専用のトランシーバーを用意すること。
西海岸カーゴ社の社長は、その条件をすんなり承諾してくれた。
そして2014年の5月、私は再びカリフォルニアに飛んだ。
今回は、チェリー工場の業務内容も雰囲気もわかっている。
なにをどう進めていけばいいか、頭の中でおおよそのプランも考えていた。
100年に一度の大凶作
2014年、カリフォルニア州は暖冬や干ばつ等の影響を受け、100年に一度と言われるチェリーの大凶作に見舞われた。
到着してすぐ私が目にしたのは、青空に何本も広がるケム・トレイル。
飛行機で空中に化学物質を散布し、人工的に雲を作って雨を降らせようとしていたらしいが、雲は広く薄く広がるだけで、多少の日よけにはなったのかもしれないが、雨を降らせるほどの威力はなかった。
チェリーの収穫量は目に見えて少なく、私が行ったチェリー工場も、前年の2013年はフル稼働していた生産ライン3本のうち1本が完全に閉鎖されていた (結果的に、2014年の収穫量は前年度比30%ほどだったらしい)。
西海岸カーゴ社も、その年(2014年)はチェリーの出荷業務からの売上が見込めないので、社長はその埋め合わせに他の取引業務を進めるのに忙しく、ほとんどチェリー工場には顔を出せないという。
しかも、まさかの。
実際にチェリー工場に入ってみると、私が提示していた3つの条件は、何1つとして準備されてはいなかった。
チェリー工場のマネージャークラスやワーカーたちは、相変わらず私を「業務の枠を越えていろいろやってくれる“通訳”兼、出荷業務を手伝う“アシスタント”」だと思っていて、業務改善をしにきたコンサルタントやアドバイザーという認識ではなかった。
当然“権限”もない。
もちろん、ライン稼働前にワーカーにレクチャーをする機会などもなく、前年と同じようにバラバラと集まってきた季節労働のワーカーたちが、単純作業の指示しか与えらないままに作業を開始していた。
一度ラインが動き出してしまったら、レクチャーをするタイミングなどない。改めてレクチャーの機会を設けるのは現実的ではなかった。
トランシーバーですら、用意されていなかった。
工場の敷地はとても広く、携帯電話やWiFiの電波が届かないエリアがあちこちにある。前年はトランシーバーがなかったから、何か用事がある度に、伝書バトのように工場内をあちこち走り回っていた。それだけで時間も体力もムダに消費する。
もちろん、みんなが走り回っていたわけではなく、チェリー工場のラインマネージャーやチーフたちはトランシーバーで連絡を取り合っていた。
単に、これまで西海岸カーゴ社のスタッフにはトランシーバーが支給されていなかっただけのことだ。
これでは、また一から、私の役目をみんなに理解してもらうところからスタートしなければいけない。
チェリーの期間は約1カ月半しかない。
いや、この収穫量の少なさを考えると、1カ月程度で終わってしまう可能性が大きい。
大凶作で量が少ないだけでなく、チェリーの質もあまりよくない。
ワーカーたちの活気もイマイチだ。
生産量が少ないので自然と労働時間も短くなる。時間給で働く季節労働のワーカーたちの中には、もっと稼げる仕事を探して早々に他の仕事に流れていってしまう人もいた。
西海岸カーゴ社は、「業務改善をして欲しい」と言いながら、基本的な3つの条件の準備さえしていない。
もう、社長を責める気にもなれなかった。
1年目同様、2年目のチェリーシーズンも、私はどーんと突き落とされた状態からのスタートだった。
一体、何をやれというんだ? 何をどうしたいんだ…?
2013年(左)と2014年(右)のチェリー畑の違い